さっさと、好きだと、言いやがれ - 1
今夜はカロリーなんて気にせずに好きなだけ甘いものが食べたい。バイト先を出た瞬間にそう思う。私がバイトしているのは神室町にある居酒屋で、今日は不思議と団体客が重なり、さらに小さなトラブルが立て続いて起きたためにいつもの倍は疲れた気がしてしまう。やはりこういう時はラーメンやお寿司などではなく甘いものだ、と心に決めて、自宅に帰るため騒がしい夜の神室町を歩き出す。
チョコレート、クッキー、グミなど色々と思い付くものはあるが、ここは生洋菓子に限るだろう。ふわふわのスポンジにイチゴののったショートケーキも良いが、サクサクの生地に濃厚なクリームが詰まったクッキーシューも捨てがたい。歩きながら何にしようかと考えている私の脳裏に、ある一つのことがよぎる。そういえば今朝、有名パティシエが監修した『卵たっぷりこだわりプリン』という商品がPOPPO限定で発売するという記事をユッターで見た。そうだ、それを買って帰ろう。
まずはバイト先のすぐ近くにあるPOPPOに立ち寄ってみたが、遅い時間だったためか目当ての『卵たっぷりこだわりプリン』は売り切れていた。神室町にはPOPPOがいくつも存在しているため、他の店舗に行けば売っているだろう。そう思い二軒目のPOPPOに行ってみたがそこでも売り切れ。そして三軒目のPOPPOも当然かのように売り切れだった。
『卵たっぷりこだわりプリン』は大々的に広告を打ち出し、発売前からそこそこ話題になっていたため、売り切れになっているのも納得出来る。そもそもプリンは美味しい。みんな食べたいに決まっている。しかしだ。ここまで手に入らないとは思わなかったため、流石に気持ちが落ち込んだ。とりあえずもう一軒だけ行ってみて、そこでも売り切れであれば諦めて帰ろうと思いながら、私は七福通り東にあるPOPPOに向かった。
七福通りの大きなパーキングを過ぎた辺り、道の終わりに差し掛かる手前でPOPPOの看板が見えてくる。あそこは売り切れていないと良いなぁと淡い期待を抱きつつ店に近付いた時、あることに気が付いた。出入口の自動ドアの前に複数人の男性がたむろしている。スーツを着ていたり、夜なのにサングラスをしていたりで、誰がどう見てもいわゆる“ヤクザ”と言われるような人たちに見えた。そういえば、七福通り東のPOPPO近くにはヤクザの事務所があるのだという話をバイト先の先輩から聞いたことを思い出す。
ヤクザらしき男性たちは店の入り口を半分ほど塞ぐような形で立っていた。完全に塞いでいるわけではないため、店に入ろうと思えば入れるだろう。しかし、ああいった人たちの近くを通るのは勇気がいる。私は神室町でバイトを始めてそれなりに経っておりヤクザを見慣れてはいるが、あまり近付きたくない存在ではあるし、怖いものはいつ見たって怖い。一瞬、ここではない他のPOPPOに行こうかとも考えたが、もう既に遅い時間のため早く家に帰りたい。尚且つ、もしかしたらここに私が求めている『卵たっぷりこだわりプリン』が売っているかもしれない。そう考えると、なんだか後に引けない気がしてしまった。
「あの、す、すみませーん……、ちょっと、通りまぁす……」
自分でもかなり弱々しく小さな声だったように思う。ヤクザたちに恐る恐る声をかけながら、体がぶつからないようになんとか避ける。店の自動ドアが開き、早く中に入ってしまおうと思った瞬間だった。店内に足を踏み入れるよりも先に、私と誰かの肩がぶつかる。思わず息を飲み、体が縮むような思いがした。
「あ?……んだコラ……?」
私とぶつかった男性がこちらを見る。表情はそこまで恐ろしいものではなかったが、頬にとんでもなく大きな傷があり、思わず変な声が出そうになる。
「おう、ねえちゃんよぉ……、こんな時間に一人でコンビニとかあぶねぇぞぉ、気を付けろぉ」
男性はそう言って笑いながら私の肩を叩いた。この時間にコンビニに行くことなど慣れているし、そもそも危ないのはあなたたちだろうと思ったが、そんなことはとても口には出せなかった。そしてその時、ヤクザたちから微かに酒のにおいがすることに気が付く。どうやら酔っているようだった。酒に酔ったヤクザほど恐ろしいものはないだろう。
しかし、肩を叩かれただけでそれ以上のことは何もされなかったし、他に何かを言われることもなかった。ヤクザたちはほんの少しだけ横にずれ、入り口前を空けてくれた。安堵しながら店内に入り、足早にスイーツコーナーへと向かう。目的の物さえ見つかればこんな所に用はないと、まるでここがコンビニではない何処か恐ろしい所かのような思いでプリンを探す。
スイーツの棚はほとんどが売れてしまったのか寂しく、ぽつりぽつりといくつかの商品が残っているだけだった。そこに『新発売!』と書かれた派手なポップと共に『有名パティシエ監修!卵たっぷりこだわりプリン』の商品札を見つける。棚にはどうやら最後の一つであろうプリンが鎮座していた。
やっと見つけた!心の中で叫びながら迷いなく手を伸ばす。しかし私の指先がプリンの容器に触れるか触れないかのところで、横から伸びて来た手にかすめ取られた。一瞬、何が起こったのか理解出来ず、思わず「あ!」と大きな声を上げたその瞬間には既に、愛しのプリンは見知らぬ誰かの手に握られていた。
反射的に相手の顔を見ると思い切り目が合った。青みがかったグレーのスーツ。見たこともないような派手の柄のシャツ。オールバックでまとめられた黒に近いこげ茶色の髪。そして左耳にある二つのピアスが妙に目立っていたその男性は、先ほど店の前で見た人たちと同じく、“誰がどう見てもヤクザ”という出で立ちだった。サングラスをしている目元は見えにくいが、その上にある眉間にはくっきりと皺が寄っている。
妙な迫力に固まっていると、男性はすぐに私から目をそらし、プリンを片手に真っすぐレジへと向かっていってしまった。そのプリンは私が買おうとしてたんですけど!?……なんて、あの怖そうないかにもヤクザな人に言えるはずがない。私はプリンを掴もうとして宙に泳がせていたままの腕を下ろした。最後の最後で『卵たっぷりこだわりプリン』は手に入らなかった。
頑張った自分へのご褒美と考えコンビニをはしごした自分が愚かだった。きっと神様は私に、カップラーメンでも食べてさっさと寝ろ、と言っているのかもしれない。そう考えながら私は何も買わずに店の外へ出た。たむろしていたヤクザたちはもう誰も居なくなっていた。
「おい、あんた」
自宅へと続く道を歩き出そうとしたその時、背後から声をかけられた。自分への呼びかけなのかどうか自信がなかったため、少し控えめに振り返る。そこには先ほど私からプリンを奪った……、もとい、私より先にプリンを買ったヤクザの男性が立っていた。どう見ても私を睨んでいるように見える。
やばい、殺される。率直にそう思った。無視をするべきなのか、応えるべきなのかが分からない。無視をしたらしたで怒られそうだし、応えたら応えたで取り返しがつかないことになりそうな気もする。
「おい、あんただよ、あんた。聞こえてんだろ」
立ち尽くし黙り込んでいると、男性は無遠慮に大股でこちらに近付いてくる。どうすれば良いのか軽くパニックに陥っていると、男性は「ほら」と言いながら何かを差し出した。
差し出されたそれには見慣れたPOPPOのロゴマークが入っている。買い物をした際に商品を入れてもらうビニール袋だ。何故私にこんなものを差し出すのか意図が読めず固まっていると、男性は“さっさと受け取れ”とでも言わんばかりにもう一度ビニール袋をこちらに向かって差し出す。受け取らないと殺されるかもしれないと思い、私は恐る恐るビニール袋を手に取った。中を覗いてみると、そこには先ほど男性が買ったのであろう『卵たっぷりこだわりプリン』が入っている。
「……え?」
無意識に間抜けな声が口からこぼれる。
「さっき、俺んとこの奴らに絡まれてたろ。それは詫びだ。……悪かったな」
何のことか一瞬分からなかったが、先ほど店の前でヤクザらしき男性のグループに絡まれたことを思い出す。この男性は彼らのお仲間なのだろう。絡まれたと言っても声を掛けられ肩を叩かれた程度だ。しかしそれでも私はかなりの恐怖感を覚えた。それを察して貰えたのかもしれない。
あれこれ考えているうちに、男性はPOPPO前の道路を横断し向こう側へ行こうとしていた。慌てて声をかける。
「あ!お、お金!お金払います!プリン代!」
そう叫ぶと男性は反応し、振り返る。彼の顔に柔らかな夜の灯りが当たって表情が良く見えた。サングラス越しの目元はほんの少しだけ微笑んでいるように見えた。
「詫びだっつってんだろ。いらねぇよ、んなもん」
男性はフン、と鼻を鳴らしてから言うと、すぐ向かいにある白いビルに入っていった。眠らない夜の神室町にガラス扉の閉まる音が響く。
彼の表情も、扉の音も、私の脳にこびりついて離れなかった。例えるならばそう、“雷にうたれたような気分”だった。夜とは言え天気は快晴。雲の少ない空に大きな満月が美しく輝いている。雷どころか雨すらも降らないだろう。しかし彼は私にとって確かに雷だった。急に現れて、私にプリンを渡して、そして去っていった。意味不明かつ理解不能な衝撃。こんな感情は生まれて初めてだった。
自宅までの道のりでは何を考えていたのかよく覚えていない。ただ歩き慣れた道を歩き、自分の城へと帰ってきた。手を洗って、化粧を落として、お風呂に入って、綺麗なパジャマに着替えて、正座をしてプリンを食べた。卵の優しい甘さと風味が口いっぱいに広がって鼻へと抜けていく。上にのっているホイップクリームも、容器の底にあるカラメルソースも、何もかもがバランス良く存在しており、本当に心の底から美味しいと思えるプリンだった。
「美味しい……」
思わず独り言を呟く。恍惚の溜息をついたその時、頭の中にふとヤクザの彼の顔が思い浮かんだ。優しい味の美味しいプリンと、雷のような衝撃を残していった強面の男性。どう考えても不釣り合いのそれがなんだか可笑しかった。
「あの人、誰なんだろ。名前、なんていうのかな……」
ひとまず分かっていることは、あの男性がヤクザだということだ。この『卵たっぷりこだわりプリン』をくれた彼に味の感想を伝えたい。今日の疲れが全てなかったことになるくらいに美味しかったです、と言ったら、あの人は「そりゃ良かったな」と言って笑ってくれそうな気がした。ただ数分間顔を見て、ほんの一言二言言葉を交わしただけなのに、何故かそう思ってしまった。