さっさと、好きだと、言いやがれ - 2

 ヤクザの彼が入っていったPOPPOの向かいにある白いビルは、どうやら“そういう人たち”が集まっている事務所のようだった。内部に入るためのガラス扉の手前には『松金興行』と書いてある。見る限り株式会社のようだが、ヤクザという存在は一体どういう商売をして生計を立てているのだろうかと疑問に思う。

 私がここを訪れたのは、ヤクザの彼にプリン代を返したいという思いからだった。そしてあわよくば彼の名を聞いて、さらにあわよくば味の感想を伝えたい。今までにないくらいに幸せになるような美味しさだった、と。

 扉のガラス越しに中を覗いてみるが、人の気配は感じられない。道を行き交う人々が何か異様な物を見る様な目で私を見てきたが、きっとこういったヤクザの事務所を訪れる女性は少ないからなのだろうと自分を納得させる。とりあえず誰かが出てくるようだったら例の彼が居ないかどうか聞いてみようと考え、あの人の特徴を頭の中で整理していた、その時だった。

「よう、お嬢ちゃん、なにしてんだ。うちに何か用かい」

 背後から声をかけられすぐに振り返る。そこには和服を着こなしたおじいさんが立っていた。貫禄がある佇まいで、その重厚な雰囲気に無意識に背筋が伸びるような思いがする。もしかしてこの事務所のお偉いさんか何かだろうかと思い、私は体の前で手を合わせ、丁寧にお辞儀をした。

「あ、ええと、すみません、私、人を探していて……」

「人?うちのモンかい?」

 おじいさんは優しい笑顔を見せながら私に応えてくれた。雰囲気こそ怖いものの表情は柔らかく、声のトーンも穏やかだったため安心する。私はヤクザの彼の特徴をひとつずつおじいさんに話した。グレーでストライプ柄のスーツを着ていること。髪型はオールバックであること。白と黒のピアスをつけていること。そして最後に、サングラスをかけた顔は強面に見えるが、とても優しくしてもらったということを話した。

「ああ、そりゃたぶん、東のことだな」

 おじいさんは顎に手を当てながら言う。私たちが思い浮かべている人物が一緒ならば、彼の名は“東”ということになる。知りたかった苗字の情報を手に入れることが出来て嬉しく、私は頭の中でその苗字を何度も何度も繰り返した。ふと気が付くとおじいさんは目を細め、先ほどよりも更に優しい目でこちらを見ていた。それが何を意図しているのかが読めず、私は首を傾げながらおじいさんを見返す。

「東の野郎、女っ気ねぇと思ってたが、こんなべっぴんさんと好い仲なんだなぁ」

 『べっぴんさん』はいわゆるお世辞なのだろうということはすぐに分かった。私はそんなお世辞よりも『好い仲』という言い回しが妙にひっかかった。意味ははっきりと分からないが、『女っ気ねぇと思ってた』という言葉と、おじいさんが穏やかな優しい笑顔を浮かべ私を見ていることになんとなく事を察する。

「え、あ、違いますよ。私は……」

 否定の言葉を口にしている途中、頭上から大きな影が覆いかぶさったことが分かる。誰かが後ろから来たのだろうと思い確認のため振り返ったのと同時に、その人物は強めの声を上げた。

「なにしてんですか、組長おやじ

 振り返った先に立っていた人物は、青っぽいグレーのスーツを着ており、髪をオールバックでまとめ、左耳に白と黒のピアスを着けていた。サングラス越しに薄っすらと見える目元は睨むようにこちらを見ていたが、どこか優しそうに見える。私が探していたヤクザの彼、東さんが目の前に居た。

「あ、」

「あ、」

 私と東さんはほぼ同時に声を上げる。どうやら私のことを覚えていてくれたようで、続けて「お前、この間の……」と小さく口にした。記憶されているという自信がなかったため、彼が私を覚えていてくれたことが嬉しく、安堵のため息がもれる。

「あ、あの。先日はありがとうございました。頂いたプリンの代金をお返ししたくて。あと、とても美味しかったので、お礼がしたくて……」

 そこまでを口にしたところで、東さんは眉間に深い皺を寄せながら凄むように私を睨む。普通の人であればひるんでしまいそうな表情だったが、私には何故か少しも怖く見えなかった。

「金はいらねぇっつったろ。そもそもあれは“詫び”だ。詫びにお礼してどうすんだよ」

「い、いや!これは私の気持ちの問題なので!せめてプリン代の147円をお返しさせてください。たかが147円!されど147円です!147円を馬鹿にする者は147円に泣くんですよ!」

 私はバッグからお財布を取り出すと、用意していた100円玉、10円玉、5円玉、1円玉できっちり147円を手のひらに出し、東さんの方へ差し出す。その様子を見た東さんは呆れたような態度で大きなため息をついた。

「何わけわかんねぇこと言ってんだテメェは。いらねぇっつってんだろ」

「いけません!受け取って貰うまで、私、帰りませんよ!」

 お金を握りしめ、そのこぶしをもう一度東さんのお腹の辺りへ突き出す。みぞおちに正拳でも食らわせようとしているかのようなポーズは、傍から見れば私たちが殴り合いの喧嘩をしているかのように見えるかもしれない。誰がどう見てもヤクザの東さんに、誰がどう見ても一般人の私が喧嘩を売っているという異様な光景だ。

 そんな状況の中にひとつの大きな笑い声が響いた。ははは、と豪快な声は、先ほど私に声をかけてくれたおじいさんのものだった。探していた東さんが現れそちらにばかり気を取られていたが、この人の存在をすっかり忘れていたことに気が付く。そういえば東さんはこのおじいさんのことを『おやじ』と呼んでいた。私の予想通り、この事務所のお偉いさんなのだろうか。

「仲良いなぁおめぇら。良い子じゃねぇか、東。大事にしてやれよ」

「え、いや、こいつはそういうんじゃ……」

 東さんの否定の言葉を聞いているのかいないのか、おじいさんは再び、ははは、と上品に笑いながら出入口のガラス扉を開け、中へと入っていってしまう。背中はあっという間に見えなくなり、その場に取り残されたようになった東さんは気まずそうな表情で私を見下ろした。

 微妙な空気と沈黙が流れる。ふと気が付くと、東さんは私の目の前に手のひらを差し出していた。私には意図が分からず東さんを見上げたが、すぐに自分の手の中にある147円の存在を思い出す。

「ほら。『受け取って貰うまで帰らない』んだろ?さっさと出せ。貰ってやるから」

 東さんはそう言って催促するかのようにもう一度手のひらを前に出した。私よりも一回り大きな手を思わず見つめてしまう。私は、ここに自分の147円を置くのが惜しい気がした。147円という金額を手放したくないというわけではない。ここで東さんにお金を渡してしまえば、名すら知らせていないこの細く薄い関係が終わってしまう気がした。それを心から惜しいと感じてしまった。

「やっぱり、やめます」

 私は握りしめていた147円を自身のお財布に戻し、バッグに仕舞い込む。東さんは驚いたり激高したりなどはしなかったが、ただ一歩前に出るとこちらを睨みつけ、凄んだ。

「おちょくってんのか、テメェ」

 普通であれば恐れ縮みあがってしまいそうな威圧的な表情。胃の辺りに響く低い声。そのどれもが恐怖には感じなかった。私には分かる。この人は眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔をしたり、乱暴な言葉で相手を威嚇したりしているが、それはきっと本当の彼ではない。本当の彼は私に『詫び』だと言ってプリンを買ってくれるような人だ。

 先ほどおじいさんが言った『仲良いなぁおめぇら』という言葉を思い出す。私は彼と、東さんと、本当にそんな間柄になりたいと心から強く思ってしまった。

「私、と言います」

 東さんの目を真っすぐに見つめながら自己紹介をする。東さんはまるで“誰もお前の名前なんか聞いてない”とでも言いたげな表情で、変わらずにこちらを睨みつけていた。私にはもう、そんな表情ですら胸が高鳴ってしかたなかった。

「突然で申し訳ないんですけど、私、あなたのこと好きになっても良いですか?……東さん」

 これは自分でもずるいと思う。『好きになっても良いか?』という問いかけではなく、『もうすでに好きになりました』という事後報告をする方が正しいだろう。たとえダメだと否定されたとしても、もう止められそうになかった。

「……は?」

 私が何を言おうと怖い表情を崩さなかった東さんが、間の抜けたような声を上げた。丸くなった目がサングラス越しに見える。ああ、こんな顔もするんだと思うと無意識に口角が上がった。固くなった顔の裏側にどんな彼が隠れているのか全て暴いてしまいたい。知っている。分かっている。これは、恋だ。