さっさと、好きだと、言いやがれ - 4

 数日経った日のこと。早番のバイトを終えシャルルを訪ねると、珍しいことに数人のお客さんが居た。誰もが小学生くらいの男の子で、きっとその子たちよりも年代が上なのだろうと思われる古いゲームを必死にプレイしている。一人の男の子がゲーム内でキャラクターを操作し、その周囲にいる男の子たち数人が「やっつけろ!」だの「必殺技をつかうんだよ!」などと声を上げていた。

 カウンターに立っている東さんは優しい表情で男の子たちを見つめていた。無意識なのだろうか口角が僅かに上がっており、目は細くなっている。私が来たことに気付くと、声を出さずにこちらを見てアイコンタクトをした。

 すると、男の子のうちの一人が東さんと同じように私の存在に気が付いたようだった。この店に女の客が一人で来るのは余程珍しいのだろう、振り向いて私の顔をまじまじと見てくる。気まずさを感じた私はとりあえず男の子に向かって「こんにちは」と軽く挨拶をした。男の子は同じように「こんにちは」と返し、目をそらさずに私の顔を見つめ続けた。

「ねぇ、このおねーさん、東のカノジョ?」

 男の子の問いかけに東さんはひどく動揺しているように見えた。両眉を上げて驚いたような表情をし、体を大きく揺らしている。私はと言うと、最近の子供は大人びてるなぁと考えながら、東さんが小学生であろう彼らに『東』と名を呼び捨てにされていることがおかしかった。

「ば、馬鹿野郎、違ぇよ。変なこと聞くんじゃねぇガキのくせに」

 男の子は東さんの言葉に「ふーん」とそっけない返事をしながら、変わらずに私を見つめ続ける。頭のてっぺんからつま先まで見た後、小さく手招きをして見せた。

「おねーさんも僕たちと一緒にゲームする?いま強いやつが相手なんだー。ガードすごくて全然倒せなくてさー」

 彼の仕草と呼びかけに微笑ましさを感じつつも、誘いへ乗ることに躊躇する。私は普段からゲーセンにはあまり行かないしゲームもほとんどやらない。そんな私の拙いプレイでは足を引っ張ってしまうだろう。小学生とは言え彼らの大切な時間とお金を奪ってしまうのは申し訳ない気がした。

「あ、私、ゲームは下手だから足手まといになっちゃうよ。みんなだけで遊んでていいから、ね。ありがと」

 そう言うと、男の子は少しだけ寂しそうな顔をして「そっかぁ」とだけ呟く。彼の表情に誘いを断ってしまったことを少しだけ後悔していると、男の子は私に背を向け再びゲームをプレイしている子の応援を始めた。子供のことは嫌いではないが、扱い方が良く分からない。どう対応するのが適切なのかが私には分からなかった。

 男の子たちはしばらくゲームに夢中になっていたが、日が落ち始める一定の時刻になると、門限があるのか一斉にシャルルを後にした。「宿題やんなきゃかーちゃんに怒られる!」と大きな独り言を口にする子や、「じゃーな東!」と挨拶をして手を振る子が、それぞれに店を出て階段をバタバタとのぼっていく。彼らの背中を見守る東さんはひどく優しい笑顔を浮かべていた。

 私と東さんの二人っきりになった店内は、いつもよりも静かに感じた。

「ああいう時は乗ってやりゃいいんだよ、下手でも何でも。その方があいつらも喜ぶ」

 その言葉に、思わず「え?」と間の抜けた声で反応してしまった。先ほど男の子にゲームに誘われ、断ってしまった件について言っているのだろう。確かに自分でも断ってしまったことを後悔したし、一緒にやってあげれば良かったと今では考えている。私はとりあえずの愛想笑いを浮かべて東さんを見た。

「なぁお前、そのゲームやってみろよ」

 東さんはカウンターを出ると、私の返事も聞かないままゲーム機体にコインを入れた。強引かつどこか優しく腕を取られ、軽く引っ張られる。気が付いた時には椅子に座らされていて、ゲーム機体の画面に薄っすらと写る東さんと目が合った。後ろから伸びて来た彼の腕が私の手を取り、それをコントローラーであるレバーの所へ持っていかれる。

「これがキック、これがパンチ、これがガードだ。パンチとガードを両方押せば投げ技が出る」

 操作ボタンの説明をする東さんの声が後頭部から聞こえてきて、低い声がいつもよりも耳に響く。彼の言葉が体には入ってくるものの、その内容はいまいち理解出来ない。あまりの距離の近さに緊張でそれどころではなかったからだ。ゲーム機体に手をつき、私の背中に覆いかぶさるようにしている東さんの胸の辺りから体温が伝わってくるような気がしてしまう。

 気が付いた時にはゲームはスタートし、二人の屈強そうな男性キャラクターが向かい合って立っていた。画面上に大きく『ROUND1』という文字が表示されたと同時に対決が始まったようで、相手キャラクターがあっという間にこちらに近付いてくる。

「攻撃は上中下があんだよ。下はしゃがんでガードしろ、ほら、」

「え?え、あ、ちょっと待って、何!?難しい、無理無理!」

 私が操作するキャラクターは数発殴られた後、地面に倒れ込む。急いで立ち上がり、言われた通りにボタンを押してガードしてみたものの、今度は思いきり投げられ床に叩きつけられた。その後もパンチやキックやら投げ技やらを食らい、私のキャラクターの体力は一瞬にしてなくなる。画面には大きく『K.O.』の文字が表示された。

「……マジで下手だな、お前」

 背後から聞こえてきた呟きに反論しようと振り返る。すると東さんの顔が想像よりもずっと近くにあり息を飲んだ。東さんのサングラスに自分の姿が写っているのが分かり、その奥にある彼の目は私と同じように驚き、見開かれていた。何も言わずに態勢を元に戻し、もう一度画面を見る。東さんはゲーム機体に手をついたまま、私から離れることなく密着し続けていた。

「あ、あの子たちに随分懐かれてるんですね。きっと東さんが居るからここが楽しくてしょうがないんでしょうね」

 緊張を誤魔化すようにとりあえず思い付いたことを口にした。私の声は震えていたため、動揺は東さんに伝わっているだろう。操作ボタンの近くへ無造作に置いていた私の手と、ゲーム機体に寄りかかる東さんの手が近い。ほんの少しだけ勇気を出せば触れそうな距離にあった。

「あいつらが来んのはゲームがあるからだ。俺目当てでここに来んのはお前くらいだろ、……

 初めて下の名を呼び捨てられ、胃の辺りがきゅっと締まるような感覚がした。ゆっくりと振り返ると、先ほどと変わらない近さに東さんの顔がある。

「私、東さんのこと、好きです」

 目を見つめながら呟くと、東さんも同じように私を見つめ「そうかよ」とだけ返した。私の気持ちに応えるでもなく、否定でも肯定でもなく、ただ“理解した”というだけの返事。それなのに私の心はこの上なく満たされる。東さんの手が私の肩に移動し体重がかかると、覗き込まれるような形で私たちの顔が近くなった。煙草と整髪料の香りを強く感じたその時、狭く埃っぽい店内に低く唸るような音が響き渡る。

 音に驚き思わず軽く身を退く。それは着信を知らせるバイブだったようで、早く出ろと言わんばかりに何度も何度も鳴り響く。私のポケットに入っているスマホは震えていないため、東さんの物だろうかと考えていると、彼はいつの間にか自身のスマホを取り出し険しい顔で画面を見つめていた。

「……チッ」

 東さんは小さく舌打ちをするとすぐに着信に出た。彼の様子を見る限り、どうやら“来てほしくない相手からの連絡”のように感じた。何度も「はい」という素っ気ない返事を繰り返すその表情は、先ほど私と見つめ合っていたのとは反対にとても苦しそうに見えた。

「分かってますよ、……羽村のカシラ」

 『羽村のカシラ』という聞いたことのない名を口にした後、東さんはすぐに通話を切った。その人物が通話相手だったのだろう。顔色を一変させた東さんは私を睨むように見ると「今日はもう帰れ」とだけ言った。

 どうしたんですか、だとか、何かあったんですか、だとか、聞きたいことは山ほどあったが、東さんがとても苦し気な表情をしているように感じ何も言えなくなる。私はただ「はい」と返事をし、素直にシャルルを後にした。軽く挨拶をしてから店を出て、階段をのぼり地上階に出る。外はまだ薄暗い程度で、夜の店はまだ営業を開始していないだろうというような時間帯だった。

 密着した体。触れ合いそうだった手。頬や耳にかかる息。煙草と整髪料の香り。それらを思い出しつつも、東さんの口から出た『羽村のカシラ』という名と東さんの表情が、いつまでも頭にこびりついて離れなかった。


 あの日からというもの、東さんは私の前に姿を現わすことが少なくなった。シャルルを訪ねても不在のことがほとんどで、久しぶりに姿を見れたと思えば控室に閉じこもり私が帰るまで出てこなかったりした。言葉で言われずとも分かる。私は避けられているんだろう。

 従業員さんは東さんが私を避けている状況を察し不憫に思ってくれたのか、黙って飲み物を奢ってくれたり、余ったガチャガチャの景品をくれたりした。私も良い歳だ。ジュースやおもちゃで悲しい気分を立て直せるほど子供でもないし単純でもない。それでも普段はぶっきらぼうな態度ばかりの従業員さんが見せる優しさがとてもありがたかった。

 その日もいつものように東さんは現れず、私は従業員さんと小言混じりの他愛ない世間話を交わしてから帰路についた。明日は遅い時間までのシフトが入っているためシャルルには寄れないだろう。もうしばらく東さんと言葉を交わすどころか姿すら見れていない。東さんを頭の中に思い浮かべながら歩き、とある坂道を下りた所で、無意識に松金組事務所の近くまで来てしまったことに気が付いた。

 ここには近づかないようにと東さんに言われていたため、道を引き返し回り道をしようと思い立ち急いで方向転換をする。その時、自分のすぐ目の前に大きな人影があることに気が付き、驚きから息を飲んだ。人はあまりにもびっくりすると声が出ないものだと聞いたことがあるが、正にそれをいま体感する。

 立っていたのはピンク色に似た明るい色のスーツを着た大柄な男性で、何も言わずにこちらを見下ろしていた。表情は険しく、ただ見られているだけにも関わらず何かしらを咎められているような気分になる。道はそこまで狭い物ではないのに男性が大柄なせいか、それとも険しい表情から感じる恐怖からか、私は男性を避けて歩くことも出来ずにその場に立ち尽くした。

「どうした、尾崎」

 大柄な男性のものではない声が聞こえ、更に後ろから白いスーツを着た男性が現れた。それが私の視界に入った瞬間、心臓が思い切り縮み上がるような、異様な不快感に襲われた。彼は私の顔を見るなり軽く両眉を上げると、ニヤリと歯を見せて笑う。

「あぁ……、こいつか?ウチを嗅ぎまわってる怪しい女ってのは」

 白いスーツの男性はそう言いながらゆっくりとこちらに近付いてくる。醸し出される恐怖感や不快感は、顔が怖いだとか武器を持っているとかそういうことではない。声が、姿が、纏う空気が恐ろしかった。何故こんな風に感じるのか自分でも理解が出来ない。

 私は黙り込み、まるで人形のように立っていることしか出来なくなる。男性の言う『ウチを嗅ぎまわってる』という言葉から察するにこの人は松金組に関係する人物なのだろう。否定しようと思いながらも声が出ないどころか口唇が動かない。息すらまともに出来なくなりそうなそんな苦しさに襲われた。

「羽村のカシラ!」

 聞き慣れた声が響く。それは東さんの声で、何処からともなく現れ私と白いスーツの男性の間に控えめに割って入った。何故東さんがここに居るのか、いつから私たちを見ていたのか、疑問はあったがそれよりも私は、東さんが口にした『羽村のカシラ』という呼び名にピンとくる。この人が先日東さんと通話していた人物だとすぐに分かった。頭にこびりついて離れなくなるくらいの苦しそうな表情をさせた人。

「おう、東。お前、この女に付きまとわれてんだろ?事務所の周りウロチョロされると目障りなんだよなぁ」

 羽村のカシラと呼ばれた男性は、こちらに顔を近付け厭らしい笑顔を浮かべながら言う。東さんは私をかばうように前に立ちふさがってくれていたため、ここからでは表情は確認出来ない。「いや」や「ええと」など、言葉にならない声をこぼしている彼の姿を見る限り、きっとこの間と同じように苦しそうな表情をしているのだろう。

 東さんを困らせてしまっていると分かり、私は羽村のカシラとやらになんとか反論しようとした。しかしやはり恐怖に支配された体は言うことがきかず、呼吸をするのに精いっぱいだった。どうしようという思いが頭を埋め尽くしたその時、東さんがこちらへ軽く振り向き、私と目を合わせる。

「こいつは、……俺の、女です」

 浅かった息が深く吸えるようになる。思わず東さんの名を呟こうと息を吸ったその時、下品な笑い声が決して狭くはない道いっぱいに響き渡る。それは羽村のカシラのものだった。

「お前みたいなのにも女が寄ってくるんだな。ま、お前も“本物のヤクザ”になったんだ。女の一人や二人作ってもいい頃だろうぜ」

 羽村のカシラはそう言いながら東さんの肩を叩く。私をかばいながらも同じように恐怖しているのであろう東さんの背中を見ながら確信した。この羽村のカシラは、私の知らない東さんを知っている。しかもそれは“悪い方”の意味でだ。東さんが『俺は極道だ』と言ったのも、『価値なんかねぇんだよ』と卑下したのも、全ての原因はこの羽村のカシラという人にあると、根拠もないのにそう思った。

 気が付くと、羽村のカシラと尾崎と呼ばれていた大柄な男性は目の前から居なくなり、道の向こう側にある松金組事務所に向かって歩いていく姿が見えた。私は安堵の溜息をもらし、深く呼吸をする。

「東さん、あの……」

 背を向けたまま立ち尽くし、何も言わない東さんへ恐る恐る声をかける。頭を軽く動かしたもののこちらに振り返り顔を見せてくれることはなかったため、彼がどんな表情をしているかが分からなかった。

「ああ言ったほうが誤魔化せると思ったからだ。本心じゃねぇ。勘違いすんな」

 先ほど東さんが口にした『俺の女』という言葉を思い出し、少しだけ顔が熱くなる。羽村のカシラをかわすための方便であり、本心ではないということはなんとなく分かっていた。それでも東さんが私をかばい、そんな風に言ってくれたことが嬉しかった。それが嘘だったとしても。

 東さんはいつの間にかこちらに振り返り、私を見下ろしていた。目線がいつもよりもずっと冷たく見えて思わず身構えてしまう。暗い夜道がそう見せているのかと思ったが、どうやら違うようだった。

「今の松金組はさっきの羽村のカシラが仕切ってる。カシラは完全にお前の顔を覚えた。これが最後の警告だ。もう、俺に関わるんじゃねぇ。怪我どころじゃ済まなくなんぞ」

 今までにないくらいに単調に聞こえる声だった。顔だけではなく言葉の節々や声のトーンまで冷たく感じる。しかし私は東さんの言うことを素直に聞く気にはなれなかった。

「私は少しぐらいの怪我なんて平気……」

「迷惑だって言ってんのが分かんねぇのか」

 東さんは私の反論を最後まで聞かず、重ねて潰すように声を荒げる。いつか言われるだろうと覚悟しながらも一番聞きたくはなかった残酷すぎる言葉は、反論だけでなく心までもを叩き潰すようだった。

「これ以上俺に付きまとうな。俺ぁ、……極道なんだよ」

 東さんは背を向け、薄暗い道の向こう側へと歩いて行く。私はその消えゆく背中をぼんやりと見つめた。感情に任せ駄々をこねることも、彼の名を呼び留めることも、何一つ出来ない。足がコンクリートの地面に吸い込まれ溶けていくような感覚がした。

 いつだったか、東さん本人から直接迷惑だと言われたら潔く身を引こう、なんて考えたことを思い出す。好きな人にそんな言葉を言われるのも、言わせてしまうことも、とても悲しいことなんだろうと思ったが、実際にその状況になってみると『とても悲しい』だなんて感情では済まないものなのだなと呑気にも感じてしまう。自分の存在が、好意を寄せることが、相手にとって『迷惑』だと思われるのは、胸が二つに引き裂かれその上でバラバラにされて踏みつけられたような、そんな気分だった。