※『ネオンに溶ける』の元にしたお話
※自死願望の描写有り
雨と不幸者
仕事も上手くいかない。毎日満足に眠れない。十万円を貸した友人のふりをした他人が姿を消した。目的もなければなにか楽しみがあるわけでもない私の人生。このまま続ける意味なんてあるのだろうか。
そんなことを考えていると、いつの間にか雑居ビルの屋上に来ていた。この場所は昔からよくたむろしていたお気に入りのスポットで、神室町の煌びやかでそれでいて下品なネオンが良く見える。少し前まではよくここでアイツと一緒に酒を飲んだっけなんて思い出す。
上を見ると分厚い雲が空を覆い隠している。一瞬、鼻の頭にひんやりとした感触がして、次第にそれが数を増して行った。雨だ。そう気付いた瞬間に雨粒はどんどん大きくなり数を増し、体を濡らしていく。傘なんて持っていないしこの屋上に雨をしのげそうな所なんかない。とことんついていないなとと心の中で独り言ちる。
もしいま私がここから飛び降りて死んだとしたら、などと考えた。元々死ぬ勇気もない臆病者だが、こんなことを考えることぐらいは自由だろう。別にたいして面白くもない人生でなんの未練も感じない。唯一の心残りと言えば幼い頃からずっと好きだったアイツに想いを伝えられていないことだろうか。
「なにしてんだよ、」
すぐ後ろから聞き慣れた声が聞こえた。振り返り声の主を確認せずとも分かる。徹だ。呼びかけに返事をしないでいるとカツカツという革靴の音がして、すぐ傍に徹が来たことがわかる。何も言わずジャケットを脱ぎ、それを私の頭からかぶせた徹の顔を見た。私も徹も二人とも傘など持っておらず、ただ黙り込んで雨に濡れる。徹の髪から額へ雨の筋が流れて行き、サングラスや顎からポタポタと地面に落ちてゆく。
徹は眉間の皺を深くし険しい顔をした。それとほぼ同時に私の腕を掴んで引き、歩き始める。抵抗もせずその力に引きずられるまま歩く私に徹は「風邪ひきてぇのかてめぇは」と不機嫌そうな声で言った。雨に濡れたせいで寒いし掴んできた手のひらはひどく冷たいし徹の言葉は相変わらずぶっきらぼうなのに、何故かひどくあたたかく感じる。
「ねぇ徹。聞いてよ」
手を引かれ歩きながらあの頃と同じ感覚で徹に言った。私たちがまだ若かったあの頃。この屋上で待ち合わせをして、薄汚い神室町の喧騒を聞きながらPOPPOで買った安い酒を飲んだ。夏にはアイスを、冬には肉まんを、それぞれ半分に分けて一緒に食べた。そんなことを思い出しながら私はいつからこんな風になってしまったんだろうと強く感じる。
「なんかさぁ、仕事、上手くいかなくて嫌んなっちゃったんだよね」
「なら辞めちまえよ。どうせ大した仕事じゃねぇんだろ」
「あと、友達に十万貸したらバックレられた。笑えるでしょ」
「名前教えろ。俺がそいつを見つけ出してぶん殴ってやる」
私が愚痴をこぼすたび、徹らしい言葉が返ってきて思わず笑ってしまう。雨は冷たくて寒くてうっとおしくてたまらないが、しばらく、いやずっとこのままで居たいと感じてしまう。
「私さ、毎日、毎日、しんどくて、眠れないんだよね」
先程と同じように愚痴をこぼす。屋上から地上階へ下りる階段に差し掛かった時、ふと徹の足が止まり、私も自然と動きを止めた。
「……俺が一緒に寝てやるよ」
オールバックにしている徹の髪が雨のせいで乱れ、先端から水滴がリズムよく落ちているのが見える。相変わらず不機嫌そうな顔に手を伸ばし頬に触れた。私の心配よりも先に自分の心配をして欲しいと感じてしまうくらいにとても冷たい。雨に濡れて光る口唇に視線を吸われる。
「ねぇ、キスしていい?」
頭の中にある単純な欲望を口に出して言った。それと同時に腕から徹の手が離れる。首の後ろに手を差し込まれ引き寄せられると、そのまま衝突するかのように口唇を塞がれた。口唇はすぐに離れ、至近距離で目が合う。
「私からしようと思ったのに……」
独り言のように文句を言うと、徹はチッと小さく舌打ちをした後に「黙ってろ」とこぼした。止む気配など一切ない雨の中で再び口唇が重なり合う。太くて力強い腕も私に触れた指先も口唇も全てが濡れていて冷たくて不愉快で、それでいてひどく情欲的だった。
(2022.3.1)