許してよ馬鹿 - 8
数年ぶりに訪れた神室町は以前とほとんど変わっていなかった。ただ、仕事終わりに良く行っていたバーや私が働いていたキャバクラは潰れてしまったようで、他の見知らぬ店舗に変わっていた。飲食店は競争率が高く経営が難しいと聞くため仕方のないことなのかもしれない。
人ごみをかき分けながら千両通りを抜けて七福通りに出ると、見慣れたコンビニが目に入る。そういえばこの辺りには徹が所属していた組の事務所があって、あそこのコンビニに良く行っていたような気がする。組の兄貴たちにパシリにされて、おにぎりやサンドイッチやスイーツを買い込んでいた徹の姿を思い出すと可笑しくて少し笑った。
懐かしさを噛み締めながら神室町ヒルズの方面へと歩いていく。確かこのあたりだったはずだと思いながら周囲を見回すと、見慣れたデザインの看板が目についた。丸い電球で囲われた看板は中央に赤い文字で『シャルル』と大きく書いてある。
「あ、あった」
独り言を呟く。ここが徹の言っていた神室町の『シャルル』だ。奥の壁には店の入り口までの順路をうながすネオンの矢印が光り輝いている。なんとなく入りづらさを感じながらも奥へと進み、階段をゆっくりと降りていく。作りはとても古く、開店したばかりの異人町のシャルルとは正反対のように思えた。
出入口のガラス戸を開けるとゲーム機の稼働音が響き渡り、耳を塞ぎたくなるほどのうるささを感じる。その音すらも掻き消すように男性の話し声が聞こえてきた。あまり流行っていないのか店の中はがらんとしていたが、どうやらお客さんが居るようだった。
「ごめんくださーい……?」
何と声を掛ければ良いか分からず、恐る恐る無難な挨拶を口にする。店の奥を覗き込むようにしながら見ると、カウンターに寄りかかる徹の姿があった。そして見知らぬ男性が一人。オレンジ色のシャツを着ている男性はこちらに背を向けているため顔は見えないものの、まるで壁を思わせるかのような大きな体に圧倒される。恐らく先ほどの大きな話し声は彼の物なのだろうと勝手に判断した。
徹が私の姿に気が付き「あ」と小さく声を上げる。そしてその声に反応したオレンジ色のシャツの男性は徹の視線を追うようにしながらこちらに振り返った。大きな瞳と目が合い、お互いに数秒間固まる。どこかで見た顔だなと感じた。
「あ!?もしかして……、ちゃんか!?」
自分の名を呼ばれて思わずぎょっとする。何故私のことを知っているのだろうと疑問に思いながらも顔をよく見てみると、記憶の奥底から一人の人物が浮き上がってくるのが分かった。
「もしかして、海藤さん!?」
「なんだよ!久しぶりじゃねえか!最後に会ったのは何年前……」
海藤さんは途中で何かに気が付いたように言葉を止め、後ろに振り返って徹の顔を見る。徹は細かく瞬きを繰り返すと、どこか気まずそうに海藤さんとは違う方向へ視線を泳がした。
「おい、まさかお前ら……、ヨリ戻したのか!?」
ゲームセンター内に海藤さんの大きな声が響き渡る。徹は「ええ、まぁ」と適当な相槌を打ち、照れくさいのか首の辺りに手をあてていた。海藤さんは未だに混乱している様子で、私を見て、徹を見て、を繰り返しせわしなく首を動かしている。
「東ぃ!良かったじゃねえか!お前ちゃんにベタ惚れだったもんなぁ!」
海藤さんはカウンターに身を乗り出し、太い腕を振り回しながら徹の肩の辺りをバシバシと音を立てて叩く。
「ちゃんよぉ、こいつ今でも酔っぱらうといっつもピーピー泣いてってうるせえから毎回慰めるのが大変なんだぜ。そんなに好きならなんで別れちまったんだって訊いても答えねぇし、んな未練あるんなら俺らが捜してやろうかって言っ……」
「ちょちょちょちょっと兄貴!?なに言ってるんすか!やめてくださいよ!」
海藤さんの言葉を掻き消すように徹が声をあげた。私の知らないエピソードに耳を疑う。そもそも先ほどの『ちゃんにベタ惚れ』という言葉も聞き捨てならなかった。徹はそこまで泣き上戸ではなかったはずだが、私を想って泣いてくれていたなんて初めて知った。
焦った様子の徹の顔を見る。気まずそうにこちらから目をそらした顔はほんのりと赤く見えた。
「ったく……、仕方ねえ。お邪魔虫は帰ってやるかぁ。今度はちゃんのこと逃がすんじゃねえぞ、東」
海藤さんはそう言うと、徹の肩に手を置いてポンポンと軽く叩く。先ほどの乱暴な叩き方とは正反対で、私には激励が込められているように見えた。後ろ手を振りながら出て行く海藤さんの背中を見ながら、相変わらず素敵な人だなとしみじみ思う。徹が彼を慕う気持ちが改めて分かってしまった。
まるで嵐が過ぎ去った後かのような店内にゲーム機の稼働音だけが響き渡る。気まずいのか照れ臭いのか何も言わずにこちらを見ようともしない徹に、私は「ねぇ」と声を掛ける。いつも通りの切れ長で、それでいて優しい目がこちらに向けられた。
「さっき海藤さんが言ってた、『私にベタ惚れだった』とか『酔うとピーピー泣いてってうるさかった』とかって話……」
「その話はもうしねえぞ」
徹は私の話を遮るのが好きだ。いつも最後まで言わせてもらえないし聞いてもらえない。そんな徹が憎たらしくもあり愛おしくもあった。私はゆっくりとカウンターに近付き、寄りかかるように体を預けると徹を上目遣いで見る。
「否定しないってことは、ほんとなんだ?」
こういう態度にも意地悪な質問にも、徹は弱い。とどめに少し首を傾げて目を見つめれば私の勝ちだ。
「うるせえな……。悪ぃかよ」
徹は独り言かのように呟きハァと軽く溜息をつくと、その上舌打ちまでした。言い返して来た言葉は降参の上での開き直りでしかなく、無意識に口角が上がってしまう。
私は6年間ずっと徹を忘れられずに居た。忘れられないどころかずっと想い続けていた。私にとってそれは自己嫌悪の種でしかなかった。もしも徹が私の気持ちを知ったら気持ち悪いと思うだろう、不快に思うだろう、気味が悪いと思うだろう。そう考えていた。
しかし今は違う。今は6年間ずっと徹を忘れないでいて良かった。ずっと想い続けていて良かったと、心から感じる。
「おい、」
低い声が私の名を呼ぶ。返事の意味を込めて目を合わせると、徹は眉間に深い皺を寄せて睨むようにこちらを見ていた。
「……なにニヤニヤしてんだ、馬鹿」
徹はそう言って私の額を軽く小突いた。彼の指先の感触も微かな痛みさえも何もかもが愛おしくて、「ごめん」と言いながら、私は再び笑った。
END
(2024.1.5)
東視点