許してくれよ馬鹿 - 1
生まれて初めて人の命が終わる瞬間をこの目で見た。下水のすえた匂いと血の匂いが混ざり合って吐き気がする。赤鼻は一体何を思って死んだのだろう。俺には何も分からない。
あの瞬間から俺は本物のヤクザになった。赤鼻を殺したのは俺ではないとは言え、残された証拠たちは俺が犯人だと指し示していた。いざとなれば逮捕されるのは俺だろう。羽村のカシラに従うしかないと気付いた時、俺は海藤の兄貴を救うことも、今までの自分で居ることも、何もかもが出来ないのだと分かった。極道になった時にある程度の覚悟はしていたが、そんな俺の人生にを巻き込むわけにはいかなかった。
「俺と、別れて欲しい」
単刀直入に告げると、は何も言わずに目を丸くして俺を見た。何故なのかと理由を問われる予想をしていたため、黙ったままのを不思議に思った。
「他に、好きな女が出来た」
は口を結んだまま何も言う気がないように見えたため自分から理由を言った。当然ながら嘘だった。俺にとっては以上の存在なんてこの世に居ない。ただ嘘をつかなければならなかった。何がなんでも俺はと別れなければならなかった。
はまだ若いし美人だし頭も良い。お人好しで面倒見が良く色んな奴らから慕われていて、危機感に乏しく人を疑わない所は短所でもあり長所でもあると思う。は俺なんかには勿体ないくらいの女だ。
俺はこれからますます裏社会に飲み込まれる一方だろう。それは俺自身が選んだ道だ。後悔はない。しかしは俺のような男のそばに居るべきじゃない。良い大学を出ていて、良い会社に勤めていて、社会的地位があるような男がこいつにはふさわしい。俺と一緒に後ろ指をさされて生きていくような人生はこいつには似合わない。
はただ「そっか」と返しただけだった。例えばここで泣いて喚いて縋りつかれでもしたら全ての本音を吐き出してしまう気がした。の表情を確認するのが怖くて、俺は顔を見ないようにしながらその場を去った。当然ながら俺を呼び止めるような声は何も聞こえてこなかった。
と別れてからすぐ、俺は態度も言葉遣いも変え、ピアスをあけて『悪い顔』になった。ここ数年の間に海藤の兄貴と和解したり、認知症の新薬を開発している研究センターに殴り込んだり、兄貴と一緒に蒼天堀に行ったり、RKの奴らと対峙したりと、様々なことがあった。俺は海藤の兄貴が組から任されていたゲームセンター『シャルル』を引き継ぎ、そこの店長という形におさまった。東城会が解散し松金組が消えた今、俺はただのカタギだ。
と別れてからの約6年間、あいつを思い出さなかった日はないと言っても過言ではない。が好きだった食い物や場所や色を見る度に一緒に過ごした日々のことを何度も思い出した。はいま何処でどうしているのだろうか。元気で、楽しく、幸せに生きているのだろうか。俺の知らない男の隣で笑っているのだろうか。
俺はしがないゲーセンの店長として働き、可もなく不可もない退屈な生活を送っていた。シャルルが異人町に店を出すことになったのはつい最近の話で、事はとんとん拍子に進み気が付けば俺はゲームセンター2店舗のオーナーとなっていた。異人町には杉浦と九十九が経営する探偵事務所がある。以前にもあの街には何度か行ったことがあるため知らない場所ではなかった。
基本的には神室町のシャルルに常駐しているが、定期的に異人町のシャルルにも顔を出した。『ゲームコーナー シャルル 異人町店』は神室町の店よりも広く、開店したばかりなので建物も綺麗だ。人通りもそこそこの場所にあるため客入りは神室町のシャルルよりも多い。
その日、俺はいつも通り異人町店に顔を出した。バイトの奴らと挨拶を交わしながらバックヤードに入り売り上げを確認する。あまり人気のないアーケード筐体は新しい物に変えるべきかもしれない。クレーンゲームは相変わらずの売り上げだが、そろそろ中のプライズ商品を入れ替える時期だろうと考える。カプセルトイはどうだろうかとそこまで考えた時、扉が大きな音を立てて開いた。
「店長!ちょっといいスか?」
バイトの一人が大きな声を出しながら飛び込んでくる。眉を寄せて困惑したような表情から嫌な予感がした。
「なんか店の外に変な女の人が居るんスけど……」
面倒臭い客の扱いには神室町で散々慣れている。はっきり言えば、神室町に比べれば異人町の客層はまだましな方だ。大体の客は俺の人相を見て怯み、そそくさと去っていくことが多い。稀に気合の入った客が俺に喧嘩を売ってくることもあるが、一発殴ってその場を収めることがほとんどだ。しかし今回の場合バイトが言うには『変な女』だ。流石に女に手を上げるわけにはいかないだろう。
ハァと軽く溜息をついてバックヤードを出る。店の出入り口のガラス戸から僅かに女の姿が見えたが、なにやらカプセルトイの機械を両手で持ち上げようとしているように見えた。迷いなく店の外に出て女に近付く。
「おい。なにしてんだ」
威嚇の意味を込め低く唸るような声で言う。女が顔を上げこちらを見たために目が合った。その瞬間、息が止まるような感覚がした。大きな目に小さな鼻。色白で地味な顔立ちではあるが形の良い口唇が目を引く。丸い頬は寒さのせいか微かに赤みを帯びていた。間違いない。だ。間違えるはずがなかった。いま俺の目の前にいるのはだった。
「あ、いや!違うんです!私じゃなくて、さっき変な人がこの機械蹴っ飛ばしてて、それで……」
眉間に皺を寄せながらただの顔を見つめていた自分に気付きハッとすると、カプセルトイの機械に目線を移す。機械の所々に見覚えのない擦ったような傷が見え、確かに地面に引き倒されたかのような痕跡があった。
「……徹?」
名を呼ばれ心臓が跳ねた。何度も何度も思い起こした愛しい声。俺はあの頃と見た目が違う。以前久しぶりに海藤の兄貴に会った際には兄貴ですら一目見ただけでは俺を俺だと認識出来なかったほどだ。が俺に気が付いてくれたということに、焦りのような気持ちと嬉しい気持ちとが混ざり合う。
俺はチッと舌打ちをするとに背を向けて店の中に戻った。これ以上の顔を見ていたらボロが出てしまいそうだと思ったからだ。思わず引き寄せて、抱き締めて、その名を呼んでしまいそうだった。
「あ、ちょっと、待って!」
は俺を追いかけるように店の中に入ってくる。ついてくんじゃねえよと声に出して言ってやりたい気持ちをおさえながらバックヤードに逃げ込んだ。後ろ手でドアを閉め、体の力を抜いて寄りかかる。
無意識に出た大きすぎる溜息は誰もいない控室に響き渡った。なんでがこんな所に居る?なんで俺に気が付く?混乱し頭をかきむしる。まとめ上げていた髪がぱらぱらと額に落ちて来た。
俺を見つめたの目と、俺の名を呼んだの声を思い出す。何もかもが俺が惚れていた頃ののままだった。いや、『惚れていた』んじゃない。今でも心底惚れている。それこそ何度も夢に見てしまうくらいに。一生忘れられないんじゃないかと諦めを覚えてしまうほどに。
「……クソ」
小さく独り言ちる。いつまでも落ち着く気配のないうるさい心臓をなんとかおさえるようにしながら、俺は深呼吸を繰り返した。