許してくれよ馬鹿 - 2
店の前にの姿がないことを確認し、まるで逃げるかのように異人町から神室町まで帰ってきた。昨夜はいまいち寝付けず疲れが取れなかったため今朝はひたすらに体が重い。全てのせいだ。
異人町店での作業は全て終わらせてから帰ったため、今日はあそこに行く必要はない。しかしのことが気がかりだった。東徹だと気付かれたことで日和ってから逃げてしまったが、あいつは俺を店の中まで追いかけて来た。もしかしたら今日もは異人町店に現れるかもしれない。
顔を洗った際に水浸しになった自分の姿を鏡で見た時、左耳のピアスが妙に目につく。これはと別れてからあけたもので、この日を境にスーツの色を変え眼鏡をやめてサングラスにした。このピアスは俺が『悪い顔』になるための一番最初の手段だった。
と別れたのは俺が極道だったからだ。しかし今はしがないゲーセンの店長でしかない。そんな俺の前にとんでもないタイミングでは現れた。元々極道の世界に疎かったあいつが東城会の解散がどうのなどという裏事情を知っているとは思えない。
カタギになった今、俺はとヨリを戻しても良いのかもしれない。あまりにも馬鹿げた考えが脳裏をよぎって頭をかきむしる。昨日は俺に気付いていた。しかし、が今でも俺を覚えているからと言って気持ちが残っているというわけではない。嘘とは言え『他に好きな女が出来た』と言ってあっさりを捨てた俺に、俺はまだお前が好きなんだ、などと言う資格があるはずない。
ハァと小さく溜息をつきながらジャケットを羽織って部屋を出る。ここは最近溜息ばかりで、幸せが次から次へと逃げていくような気がした。
神室町でのシャルルの仕事にひと段落をつけた後、俺は異人町店に向かうことにした。またが現れるかもしれないとか、またの姿を見れるかもしれないとか、そんな期待をしたわけじゃない。ただもしも万が一が再び異人町店に現れたとしたら、『もうここには来るな』と伝えようと思った。きっとその方がお互いに良いはずだからだ。根拠など何もなくそう強く感じる。
神内駅から賑やかな通りを抜けて異人町店に向かう。そろそろ店が見えて来るという所まで来た時、思わずぎょっとした。まるで夜の灯りに群がる虫かのように出入口のガラス扉に張り付いている人物が居たからだ。後ろ姿から察する。あれはだ。
なにやってんだこいつは。そう思うも、は昔からこうだったなと考える。時に素っ頓狂でまるで読めない行動をする所は相変わらずなんだなと笑いたくなってしまった。は店の中を覗くことに夢中になっているのか、後ろに立っている俺には一向に気付く気配がない。
昔を懐かしみ、あたたかな気持ちになっている自分に気付きハッとした。俺は何を考えているんだと頭を振る。が再び異人町店に現れたとしたら『もうここには来るな』と伝えようと考えていたはずだ。そもそもこんな奇っ怪な行動を取っていれば中にいるバイトたちに不審者扱いされるだろう。
一度小さく咳払いをし、声を整える。
「おい、お前」
小さな背中が振り返り、こちらを見る。予想通りだった。昨日と比べて今日は少し雰囲気が違って見える。時間帯を考えると仕事帰りか何かなのかもしれない。
「昨日の奴だろ。こそこそ覗きやがって、ウチに何の用だ」
妙に緊張してしまい、声が裏返っていなかったか心配になる。は驚いたように目を丸くしてこちらを見た。は昔から派手な化粧を好まなかったが、6年経った今はさらに化粧っ気のない地味な顔になっていた。それが妙にそそる。たまに俺の前で見せていたすっぴんを思い出し、再び懐かしい気持ちになった。
「えっと、あの……」
は言葉にならない声を出し、手をこすり合わせながら居心地悪そうに体をもじもじと動かした。その仕草が妙に可愛らしく見えてしまい、腹の底から大きな溜息をつきたくなってしまう。無意識に顔を近付けたその時、すぐ横で何かが倒れるような大きな音が響いた。
咄嗟に音の方向を見ると、店に沿って設置していたカプセルトイの機械の一つが横倒しになっていた。倒れた機械のすぐそばには複数人の男性グループが居て、中央の男がだらしなくにやついた表情でこちらを見ている。ああこいつがやりやがったなと直感的に思った。
「ねぇ、そこのオジサン。昨日ここに居たよねぇ?店の人っしょ?」
そこで俺は昨日のの言葉を思い出した。『さっき変な人がこの機械蹴っ飛ばしてて……』。はカプセルトイの機械に触れながら俺にそう言った。確かに機械の所々には見覚えのない擦ったような傷があり、地面に引き倒されたかのように見えた。恐らく昨日、同じように機械を蹴り飛ばして横倒しにした犯人はいま目の前に居るこいつなのだろう。
「つかさぁ、この店クソゲーばっかっすよねぇ?ガチでクリアとか無理だし。詐欺だと思うんすけどぉ、金返してもらえません?」
男がそう言うと、周囲に居る仲間たちがギャハハと下品に笑い「うける」「それな」と口々に言った。お客様は神様だなどと言うが、俺から言わせればふざけている。機械は店の大事な備品であるし、中のカプセルは店の大事な商品だ。こんなことをする『神様』は神どころか客でもない。
俺はひとまず地面に引き倒されたままになっていた機械をゆっくりと起こした。そして男の前に立ち、軽く頭を下げる。
「申し訳ありませんがご返金対応は致しかねますのでお引き取り下さい。店の備品を壊されても困りますので、お客様には二度と来て頂かなくて結構です」
こんな奴らに頭を下げたくはないが俺も一応は店長だ。自分の思った通りにいかないことなど良くある。しかしマニュアル通りの『お客様対応』をするのがどうしても癪で、後半部分にこれでもかという煽りを入れた。
俺の煽りが男の逆鱗に触れたようで、ニヤついていただらしない顔を一変させる。素早く伸びて来た腕に胸倉を掴まれ、顔が一気に近付いてきた。
「こんの野郎……、客おちょくってんじゃねえぞ!クソが!」
なんで野郎なんかに顔を近付けられなきゃならねえんだと文句を言いたくなった。どうせならの顔をこのくらい近くで見たかった。ハァと溜息をついたのと同時に今日は一体何回溜息をついたのだろうと思うも、数など考えたくもない。
「先に手ぇ出したのはそっちだからな」
そう言ってから俺の胸倉を掴んでいる腕に手をかけ、ぎりぎりと骨がきしむほどに強く握る。男の口から汚いうめき声が聞こえたのとほぼ同時に俺は反対側の拳で頬を思い切り殴りつけた。体の大きさの割に思ったよりも吹っ飛んだ男の姿に、たいしたことねえなと考える。
周囲に居た仲間たちは「てめぇ!」「ふざけやがって!」などと罵声を口にしながら次々に襲い掛かってきた。威勢は良いが動きは鈍い。ほんの少し膝を曲げながら後退し攻撃を避けた後、突っ込んでくる勢いを利用して顔面に拳をお見舞いする。絵にかいたような美しいほどのカウンターだった。
もう一人の男と対峙しながら、この喧嘩が片付いた後のことを考える。俺は『もうここには来るな』とに伝えることが出来るだろうか。その自信がない。あいつの顔を見て声を聞いたついさっき、あまりにも簡単に心が揺らいだからだ。もう少しだけの顔を見ていたいと、もっと近づきたいと、そんなことを思ってしまった。
その時、背後に人の気配と殺気を感じた。振り返ったのとほぼ同時にどこかしらの店の立て看板を振り下ろそうとしている男の姿が見え、背後を取られていたことにやっと気が付く。まずい。そう思い防御の体勢を取ろうと構えたその時、俺と男の間に何者かが飛び込み割って入ってきた。だった。看板が振り下ろされの肩付近に当たり、大きな音を響かせる。
目の前の光景がスローモーションかのようにゆるやかに流れて行く。は膝から崩れ落ち地面に倒れ込んだ。抱き締めるように肩を支えながら体を起こし、顔を覗き込む。
「!」
思わず名前を叫んだ。まぶたがゆっくりと開いて俺を見つめる。微かに口唇が動いたように見えたが声は聞こえなかった。
「!おい!!しっかりしろ!」
なりふり構わず何度も何度も名を呼んだ。なんで俺なんかを庇ったんだと思うも、そういえばは超が付くほどのお人好しだったことを今更に思い出す。は何も言わないままゆっくりとまぶたを閉じた。そこにキスがしたいと感じてしまい、無意識に顔を近付ける。
「……」
もう一度小さく名を呼ぶ。キスなんて出来やしない。そして『もうここには来るな』なんて、口が裂けても言えないと思った。