溺れるシーラカンス - 2
正直、ヤバい客だと思った。見た目はどこにでも居そうな至って普通の女で、年齢はとりあえず成人はしていそうな感じに見えた。そんな平凡そうな女を何故ヤバい客だと思ったのかというと、行動が奇抜だったからだ。
その女はシャルルの汚れた床にしゃがみこみ、何回も、いや何十回もガチャガチャの機械を回していた。そいつの足元には今までに出したのであろうカプセルとその中身のおもちゃが山積みになって置かれており、どこからどう見ても異様な光景だった。
そもそもこのゲーセンに女の客が来ること自体が珍しい。たまに野郎と一緒に来てはゲームの話ばかりしているような奴を見かけることもあるが、ガチャガチャだけを回しにくる客なんて女どころか今時は子供の姿すらも珍しい。
どうやらそいつはシーラカンスのおもちゃが欲しかったようで、やっと引き当てた際には何故か店の奥まで走ってきて俺に見せつけてきた。
“で、出た!出ました!一番欲しかったシーラカンス!”
女の顔はなんだか必死だった。髪を乱して息を切らして、欲しかったおもちゃが手に入ったと俺に報告するその姿はまるでガキのようで、思わず笑ってしまうほどおかしな光景だった。
その日から、“シーラカンス女”は頻繁にシャルルに顔を出すようになった。それもゲームをするためではなく、ただひたすらにガチャガチャを回すためだけに。
店長の俺としてはシャルルに金を落としてくれるならば好都合ではある。しかしそいつは既に一番欲しかったのであろうシーラカンスのおもちゃを既に手に入れているはずだった。それなのに何故、ずっとガチャガチャを回し続けているのか俺には理解出来なかった。
俺は心の中で女を“シーラカンス女”と呼んでいたが、いつだったか名を聞いたことがあった。女の名は。それを聞いた時、よりもシーラカンスのほうが似合っているような気がしてならなかった。
「東さん、良かったら『デコレオーシャン』、回しませんか?」
その日もシーラカンス女、もといは店に来るなりそう言い、俺は言葉の意味が分からずに「は?」と間の抜けた声が出た。『デコレオーシャン』というのはが狂ったように回し続けているガチャガチャの名前だ。チェックやハートの柄にデコレーションされた海の生き物たちのおもちゃが入っているガチャガチャで、初めて見た時は正直“こんなもん誰が欲しがるんだ”と感じていた。
の誘いに何も答えなかったが、心の中では“やるわけねぇだろ”と思っていた。大体俺はこの店の店長で、店長に店の商品を進める客なんてどう考えてもおかしい。
「いや、俺は……いい」
「なんでですか、やりましょうよ。イカとかカニの手足、細いのに良く出来てるし、フォルムも柄もすごくかわいいんです。ほら、カジキの顔もリアルで、ハリセンボンなんか触ったら本当に怪我をしそうなほどですし、シーズン1のシークレットの……」
これがマシンガントークってやつか、というようなことを思いながらの話を右から左へ受け流す。恐らくこいつは俺が『デコレオーシャン』とやらを回すまで延々と話し続けるのだろう。
の話を聞くのがかったるく、俺は何も言わずにカウンターに預けていた重い体を起こすと、ガチャガチャが置いてあるコーナーに渋々向かった。後ろをついてくるは機嫌が良いのか足取りが軽やかで、床にヒールがぶつかる音が耳につく。
うちのゲーセンははっきり言ってそこまで流行りには乗れていないし乗せる気もない。ゲームもレトロなものが多いしガチャガチャも派手な物は一切ない。だからこそのような若い女が『デコレオーシャン』とやらに夢中になることが理解できなかった。
機械に金を入れハンドルを回すと、ガタガタと大げさな音を出しながらカプセルが飛び出してくる。手に取って中身を確認するためすぐに開くと、出てきたのは良く分からない魚らしきものだった。
「あ、それはハゼですね」
は俺の手元にあるおもちゃを一瞬見ただけでそう言い放った。その詳しさに驚きつつも、そりゃいつもあれだけ回しているならば詳しくなってもおかしくはないだろうと思い直す。
出てきたハゼのおもちゃをスラックスのポケットに突っ込み、カウンターに戻ろうとしたその時だった。背後に居たに「東さん」と名を呼ばれ反射的に振り返る。返事をするのも面倒臭く、俺はただ“なんだよ”という想いを込めてを見た。
「あの、良かったら交換しませんか。東さんが出したハゼと、私のシーラカンス」
は小さく控えめな声で言うと、シーラカンスのおもちゃを手のひらに乗せてこちらに差し出す。俺がその言葉の意図を理解できなかったのは、がシーラカンスに思い入れがあると知っていたからだ。
この女は言っちゃ悪いが少しばかり頭がおかしい。シーラカンスのおもちゃを手に入れるために何回も、いや何十回もガチャガチャの機械を回していた。鍵を開けて欲しいおもちゃを出してやると言っても「こういうのは自分で引き当ててこそ」などとぬかして断った。そんな苦労をして手に入れたシーラカンスを俺の出した何の変哲もないハゼと交換しようとする意味が分からない。
「それはこないだお前が苦労して手に入れたやつだろ。んなもんいらねぇよ」
「あ、いえ、あの、今日また出たんですよシーラカンス。私まだハゼ出したことなかったんで、その、ハゼが欲しいんです。お願いします」
はしどろもどろに言うと、手のひらに乗せたシーラカンスを更に差し出しこちらに近付ける。その様子は俺が何を言おうと引きそうにないように見え、これ以上の押し問答が面倒臭く感じた俺は溜息をつきながらシーラカンスを受け取り、代わりにハゼをの手のひらに乗せた。
シーラカンスが欲しいのかと思えば今度をハゼを欲しがるし、この女は魚ならなんでも良いんじゃないかと感じてしまう。は俺から受け取ったハゼをまじまじと見つめると、とても大事そうに両方の手のひらで包んだ。
「ありがとうございます」
その笑顔は本当に心から喜んでいる表情に思えて、なんだか調子が狂う。こんなに喜んでもらえるのであれば、俺も時々『デコレオーシャン』のガチャガチャを回してコレクション集めに貢献してやろうかな、などと考えてしまう。
は床に置きっぱなしにしていた空のカプセルをかき集め店のゴミ箱に入れると、「今日はもう帰ります」と言いながら色とりどりの魚のおもちゃたちを自身のバッグに詰め込む。
「それじゃ、また」
こちらに向けたぎこちない笑顔。それを見た瞬間に俺は「おう」とか「またな」とか、そんな何の変哲もない言葉を返すことすら出来ず、ただ小さく頷いた。が居なくなった店内は相変わらずのゲーム音でやかましいはずなのに、何故か寂しく静かにも感じてしまう。
先ほど受け取ったシーラカンスのおもちゃを改めて見ると、とても小さくてひたすらに地味だ。『デコレオーシャン』などと銘打っている割に何故レア度の高いシークレットがこんなに地味なのだろうと感じたが、なんだかに似ているような気もしてくる。
あいつは同じガチャガチャを何十回も回すような頭のおかしい女だ。関わると面倒臭いような気もする。しかしから貰った、もとい押し付けられたシーラカンスは不可思議なフォルムであるのに、何故かとてつもなく可愛らしく思えた。