きみの名と夜を跳べたら - 5

 衰弱し気を失ったさんをその場に置いておくことが出来ず、ひとまず窃盗団がアジトに使っている廃ビルに連れて帰ることにした。仲間たちはみな何も言わなかったが、その目を見れば彼らが不満を感じていることは良く分かった。

「どうするんだよジェスター。あんな女連れてきて」

 仲間の一人、烏の仮面を着けたクロウが強い口調で言う。表情は仮面で隠れて見えないものの、声色には怒りが込められているように聞こえる。どう返答しようか迷っていると彼は一歩僕の方へ踏み出し立て続けに言った。

「まさかとは思うが、あの女が好みだったとか言わないよな? 一目惚れしたとかくだらないドラマみたいなことを言うのだけはやめてくれよ」

「何言ってんの、違うよ」

「だったらあのまま放置して警察に任せちまえばよかっただろ。なんで連れてきた?」

 クロウの言うことはもっともだ。匿名で警察に通報した後に僕たちがあのビルから姿を消せば、さんが通報したのだと彼女を保護してくれるだろう。温かい場所に寝かせられ十分な食べ物や飲み物も与えられるに違いない。それが最善だということは僕自身も分かっていた。しかしそれではさんがあの場所に居た理由が分からなくなる。僕はそのことを彼女本人の口から聞きたい。そもそも何故、さんがこの神室町に居るのか。何故詐欺グループのアジトに捕らわれていたのか。分からないことだらけだった。

「ごめん、悪いけどこの話はまた今度にしてくれる? 僕、彼女に飲ませるお水とか買ってくるから。今夜はもう解散ってことで」

 自分とさんを取り巻く事情をクロウや他の仲間たちに説明する気になれず、僕は逃げるように部屋から出た。後ろからクロウが大きな声で名を呼んだが、僕は振り返らなかった。

 仮面を外しながら外に出ると、一番近くにあるPOPPOを目指して歩いた。とりあえず今のさんに必要なのは休息、水分、食料だと思い、それらを調達しようと考える。

 眠らない街である神室町は深夜の時間帯でも人通りが多く、コンビニ以外の店の灯りがあちこちに溢れていた。水と一緒におにぎりやパンなどの軽食を買い、ついでにカイロと温かい飲み物を買ってアジトに戻った。すでに仲間たちの姿はなく、ビルの中は不気味なほどに静まり返り、遠くに神室町の喧騒が聞こえる。

 さんは僕たちがいつも集まっている部屋から一つ扉を隔てた場所に寝かせた。あそこには古いソファが置かれており、人を寝かせるには最適の場所だ。部屋自体は壁も床もボロボロだが致し方ない。

 音を立てないようにしながら扉を開けゆっくりと中に入り、中央辺りに置いてあるソファに近付く。さんは目を固く閉じたまま横になって眠っているようだった。誰がどう見ても顔色が悪い。髪は乱れているし、化粧も崩れている。きっと怖い想いをしたのだろう。頬にうっすらと涙の痕があった。

「なんで、さんが……」

 さんの寝息だけが響く静かな部屋で独り言を呟いた。横になっている彼女の頬に触れゆっくりとさすると、微かなぬくもりが自分の手に沁み込んでくる。

 頭のなかは疑問と混乱でいっぱいだったが、こうして再びさんと会えたことが僕は嬉しかった。もう二度と会わないと決心して突き放したはずなのに、嬉しいと感じてしまうのはおかしいと自分でも思う。やはり僕の心は未だ彼女に奪われたままなのだと痛感した。

 さんを覗き込むようにして見ながら、頬や額にかかる髪を退けてその顔をジッと見つめる。目を開けて僕を見て欲しい。口を開いて僕の名を呼んで欲しい。そう思いながら見つめ続けても、さんは目を覚ましそうになかった。

 おとぎ話のように目覚めのキスでもすれば起きてくれるかもしれない、などと考えたが、そうなるとさんは眠り続ける姫で、僕は彼女を起こす王子ということになり、自分が王子様という滑稽さに少し笑う。少なくとも王子様であれば、義賊というポリシーがあったとしても人から物を盗んだりしないだろうし、清らかな心を持って人を恨み続けることもないだろうし、愛する大切な人を置いて姿を消したりはしないだろう。

「……ごめんね」

 何に対する謝罪なのかも分からず、ただその言葉を口にした。眠り続けるさんの頬に手を添えて額に口唇を落とす。それはとてもひんやりとしていて、いま突き放せばそれこそ死んでしまうのではないかと思うほどだった。


 気が付くと僕は床に座り込み、崩れかけの壁を背にして眠っていた。ぼんやりと目を開けると壊れたブラインドの隙間から日の光が差し込んでいる。

 この廃ビルには時計もないし僕は腕時計もしていないため現在の時刻がわからない。スマホで確認しようかと思い取り出そうとしたその時、ソファの上へ横になっていたさんが体を起こしていることに気が付いた。自分が置かれている状況をまだ理解出来ていないようで、何もない壁をただ茫然と見つめている。

 声をかけようとしたその時、自分が仮面を着けていないことに気付いてハッとした。昨晩コンビニに行った際に外し、再び着けることなくそのまま眠ってしまったのだ。まずい、と思い慌てて仮面を着けたが、さんはその間もずっと壁を見続けていたため僕に気付いていないようだった。安堵して思わずホッと息をつく。その息遣いが届いたのか、さんはこちらに顔を向け、ゆっくりと瞬きをしながら僕を見た。

「あなたが……、助けてくれたんですか……? 」

 弱々しい声で、まだ本調子ではないということが良く分かったが、久しぶりに聞く大好きな声に胸の奥が狭くなるような感覚がする。僕の表情は仮面で見えないはずなのに、何故か顔を見られるのが恥ずかしくて、俯くようにしながら「まぁね」と返事をし、昨晩コンビニで買っておいた水のペットボトルを差し出す。さんは戸惑いながらも「ありがとう」とお礼を口にしながら、水を受け取った。

「きみ、詐欺グループの仲間なの? 」

 ゆっくりと水を飲むさんに問いかける。驚きから水が気管に入ってしまったのか、軽く咳をしながら「違います」と否定するその姿は、嘘をついているようには到底見えなかった。

 当然彼女が詐欺グループの仲間ではないということは分かっている。僕が知りたいのは何故さんが神室町に居るかだった。ジッと見つめると、さんは僕の仮面を不気味に思ったのか居心地が悪そうに目線をそらす。

「わ、私は、神室町に着いてすぐにあの男の人たちに声をかけられて……。人を探してるって言ったら、手掛かりがあると言われたんです。詳しく話すから場所を変えようって。それで、その……」

 さんの声は段々と小さくなる。それは自分への嫌悪からなんだろう。神室町という治安の悪い街を訪れて、いかにもな手口で騙された自分を愚かだと感じているのかもしれない。しかしそんなことよりも僕は「人を探してる」という言葉が耳にこびりついて離れなくなった。

「人を、探してる? 」

 無意識に口からこぼれた言葉に、さんはこちらを見つめながら力強く頷く。

「そいつの、名前は……? 」

 まさかとは思いつつもその問いをせずにはいられなかった。さんが人を探している。それはもしかして僕のことなんじゃないのか、僕がさんをずっと忘れられずにいたように、さんもずっと僕を忘れずにいてくれたんじゃないだろうかと、そう思った。そう思いたかった。

「寺澤文也、という人です」

 さんは、遠い昔に僕が捨てた名を口にした。

 神室町で僕はジェスターであり、それ以外の名で呼ぶ人間は居ない。久しぶりに聞く自分の名と、それを口にしたさんの声に胸が潰れそうになる。

 今すぐに駆け寄って引き寄せて抱き締めたかった。忘れずにいてくれてありがとう、なんていうありきたりな言葉を聞かせたかった。しかし僕の体は石のように固まり動くことはなく、ただ何も言わずに俯く。その反動で仮面が外れないように、自分の顔面を手のひらで強くおさえることしか出来なかった。