この街できみと暮らしたい - 3

。年齢は二十六歳。以前までは都内に住み、同じく都内の中小企業に勤めていたが、現在は行方不明……と。写真を見る限り、美しく、穏やかそうな人ですな。とても人を騙すようには見えません。人は見かけによらないということでしょうか……」

 ソファに座ったままの九十九君の言葉は、隣に居る僕に話しかけているのか、それとも独り言なのかが分からず、僕は何も返答しなかった。

 金をだまし取った女を探して欲しいという依頼を受けた後、依頼人である瀬央さんは事務所を去った。テーブルに置きっぱなしになっている女性のプロフィールも、写真も、どう見ても僕の知っているさんそのものだ。年齢や、以前まで都内に住んでいたなどという、僕の知らない情報もいくつかある。

 さんが男から金をだまし取り行方をくらます、などという行為をするなんて信じられなかった。九十九君が言ったように「人は見かけによらない」ということなのだろうと自分を納得させようとしたが、無理だ。

 悲しみでも、怒りでも、衝撃でもない。何とも言えない感情が頭の中をぐるぐると回る。そして同時に瀬央さんの姿を思い浮かべた。僕には、さんに片想いをしていた瀬央さんの気持ちがなんとなく分かってしまう。彼女に惹かれている僕には、その気持ちが。

「杉浦氏?」

 急に名を呼ばれ、ハッとした。考え込み、自分の世界に入ってしまっていたことを自覚する。平然を装いながら、返事の意味を込めて隣を見ると、九十九君は眉尻を下げ、どこか心配そうな表情で僕を見ていた。

「もしかして杉浦氏は、このという人に心当たりがあるのですか?」

 思わずぎくりとし、言葉を失う。そんなに分かりやすい顔をしていただろうかと思い、僕は思わず自分の頬をさすった。

「九十九君に隠し事は出来ないね」

 まるで独り言のように呟いてから、僕は九十九君に全てを打ち明けた。

 さんは僕の隣室に住んでいること。挨拶や軽く雑談をする間柄であること。先日酔っ払い男に絡まれていた所を助けたことで食事の約束をしたことなど、ここ最近のさんとの出来事のほとんどを話した。そして最後に、「さんが男を騙してお金を盗るような人だとは思えない」と付け加えた。

 九十九君は僕の話を聞きながら数回相槌を打ち、「なるほど」と呟く。その表情は僕の意見を微塵も疑っていないように見えた。

「ボクたち探偵に出来ることは、さんが瀬央さんからお金をだまし取ったという証拠を探すことだと思います。例えば証拠と言わずとも、彼女がうっかり口を滑らせ、お金をだまし取ったことがあると自白の証言でもしてくれたのならば、それで十分でしょう」

 九十九君の言うことはもっともだった。依頼人である瀬央さんにさんの居場所を知らせることは容易い。瀬央さんが望む真実もそれで明らかになるかもしれない。しかしそれは再びトラブルを生む可能性もはらんでいる。少なくとも確たる証拠がない限り、警察は動かない。

「もし……、証拠が見つからなかったら、どうするの」

 そう問うと、九十九君は考え込むかのように少しだけ眉を歪ませる。

 本音を言えば、証拠なんて出てきて欲しくない。探偵という職に就いた以上、私情を持ち込むのは良くないということは十分に理解しているつもりだ。しかしそれでも僕は、やっぱりさんを疑いたくはなかった。きっと九十九君にこの気持ちは見透かされているんだろう。僕と目を合わせたその顔は、なんだかやるせない表情に見えた。

「もし証拠が見つからなければ、瀬央さんにさんの居場所を教えるしかないでしょう。その後は、話し合いでの解決を望むのか、裁判を起こすのか……、すべて瀬央さん次第です」

 予想通りの答えが返ってきて、僕は小さく溜息をついた。

 すべては依頼人次第。それは当然だ。僕たち探偵に出来ることは、さんが本当にお金を騙し盗るような行為をしたのかどうか、という証拠を突き止めること。そしてその証拠を瀬央さんに渡すことだけ。瀬央さんとさん、二人の間に入ることは出来ない。

「だよね……」

 口にした言葉は想像していたよりも小さく、弱々しかった。僕は悲しみのような、寂しさのような、悔しさのような、何とも言えない良く分からない感情に支配される。

 瀬央さんはさんに惚れていたと話していたが、さんはどうだったのだろう。お金を騙し盗ったことが本当なのかどうなのかは置いておいて、彼女は瀬央さんをどう思っていたのだろうか。もしかして二人は、本当に両想いだったりしたのかもしれない。

 瀬央さんとさん。二人が一緒に居るところを想像してみた。瀬央さんは爽やかな好青年で、背が高く、スラッとしたスタイルの良い人だ。きっとさんの隣に立つと様になるだろう。まさに美男美女カップルという感じだ。

 嫌だ。ただその言葉だけが頭を埋め尽くした。胸の奥がムズムズとし、落ち着きがなくなる。一瞬、僕以外の男の隣になんて立たないで欲しい、などと考えてしまった。

「杉浦氏」

 薄汚い感情に満たされた思考を九十九君の声が引き裂く。顔を上げると、九十九君は不思議そうな表情で僕を見つめていた。

「もしや杉浦氏は、さんのことが好きなのですか?」

 その問いかけに、僕の胸の奥にあったムズムズが消え、つっかえていた何かが下に落ちるような感覚がした。

 礼儀正しい所も、警戒心が薄い所も、少しぬけている所も、着飾っている姿も、少し幼く見える素の姿も、髪も、肌も、優しい香りも全部、僕を惹き付けてやまないさんの魅力だ。まだ名前ぐらいしか知らないのに、彼女の良い所が次々と思い浮かぶ。

 僕はさんに好意を感じていて、ただ彼女に惹かれ、彼女のことをもっと知りたいと思っていた。これは恋なんかじゃないと思っていたけど、それは違う。“まだ恋”じゃなかっただけだ。僕の中のこの思いは“たったいま恋”に変わった。

「うん。そう、……かも」

 あっさりと答えた自分に、自分でも驚いてしまった。

 九十九君は優しく微笑みながら「そうですか」と返答する。しかし僕からそらした彼の瞳は、少しだけ困っているようにも見えた。調査の対象者であるさんが僕の隣人であり知り合いで、僕がさんに惚れているなんて、そんなのはこの事務所の所長である九十九君を困らせる材料でしかないのは、火を見るよりも明らかだ。

「ごめん九十九君。私情を挟むのは良くないって分かってるんだけど、さんが男を騙してお金を盗るような人には、僕にはどうしても思えないんだよ」

 身を乗り出しながら、言い訳にしか聞こえない言葉を並べ立てる。こんなのは九十九君にとってはなんの慰めにもならないということは分かっていた。

「ええ、わかっておりますとも。杉浦氏が信じるのなら、とりあえず今はボクもさんを信じましょ」

 九十九君は優しい声で答えると、手元にあったノートパソコンを開き、そこへ情報を入力していく。さんのプロフィールをデータ化し、今後の調査予定を決めるのだろう。

「まずはさんを尾行、監視して、動向と交友関係を探りましょうかね。彼女には申し訳ないですが、こればかりは致し方ありません」

 素早い動きでキーボードを叩く指をぼんやり眺める。

 九十九君の言う通りだと強く感じた。さんを疑いたくはないが、全てはさん本人と依頼人のため。そして同時に、僕自身のためでもある。好きになった人に疑いがかかっているのなら、そのままにしておくなんて出来るはずもない。

 キーボードを叩く九十九君の手がピタリと止まる。顔を上げ、まっすぐにこちらを見たその目は、今までにないくらい力強く感じた。

さんの疑いが晴れるのかどうか、真実を確かめる役目は、杉浦氏に任せます。よろしいですか?」

 その言葉は、僕の背中を押してくれるようだった。そう、僕は真実を求め、さ迷い歩く人の手助けがしたくて探偵を志したんだと、今更ながらに思い出す。

「うん。分かった」

 迷いなく返答すると、九十九君は安心したかのように優しく微笑んだ。

 瀬央さんからの依頼を受けたその日の夜、僕は自分の部屋の前に立ち、さんの帰りを待っていた。スマートフォンで時刻を確認すると、すでに二十一時にさしかかろうとしている。そろそろ帰ってくる頃だろうかと向こう側に続く共同廊下を見るが、人の気配はない。

 ひとまず僕は帰宅するさんを捕まえ、以前言っていた食事の約束を取り付けようと考えていた。こうしてさんを待ち伏せすることはまるでストーカーみたいだからしたくないと考えていたのだが、これは探偵の仕事なのだから仕方のないことだと自分を納得させる。

 さんと食事に行きたいという気持ちは探偵としてではなく、僕自身の正直な気持ちだ。彼女ともっと話がしたいし、彼女のことをもっと知りたい。瀬央さんの件で探りをいれるのはそのついでで構わない、なんて考えてしまう。

「あれ?」

 あれこれ考えていた僕の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んでくる。その方向を見るとそこにはさんが立っていた。片手に買い物袋を持ち、目を丸くして不思議そうな顔で僕を見ている。

「杉浦さん。何してるんですかこんな時間に」

 さんは小走りをしてこちらに近付く。その顔は僕がいつも朝に見るものとは少し違い、疲れの色が浮かんでいるように感じる。きっと朝早くから出勤し、たくさんの仕事をこなしてきたのだろう。

「いや、ちょっとね」

 正直に“きみを待ってた”と言っても良かったが、なんだか照れくささを感じ、適当な言葉で誤魔化す。いくら隣人とは言えこんな玄関扉の前に立っているなんてどう考えても待ち伏せ以外の何物にも見えないが、さんはそれに勘づいた様子はなかった。

「あのさ、この間ごはん行こうって約束したでしょ?あれ、いつにする?」

 単刀直入に問うと、さんは「あ」と小さく声を上げる。そしてバッグからスマートフォンを取り出し、画面を操作し始めた。恐らくアプリでスケジュールの確認をしているんだろう。滑らせている細い指の爪がピンク色で、共同廊下の照明を受けてつやつやと光っており、とても綺麗に見えた。

「来週の金曜日、とかどうですか?私の仕事終わりになっちゃうんですけど」

「うん、いいね。そうしよう。店は僕が決めとくよ。さんは苦手な食べ物とかある?」

「特にないです。杉浦さんにお任せします」

 僕たちは考えていることが一緒なのか、とんとん拍子に話が進んでいった。

 元々は、“さんが酔っ払いの男に絡まれていた所を僕が救った、そのお礼”に食事をごちそうしてもらう、という名目であったのに、僕が店を決めるのはおかしいだろうかと感じたが、まぁ良いだろう。

 そして、忘れないうちに僕はさんと連絡先の交換をした。これで部屋の前で待ち伏せをしなくても、いつでも好きな時にさんと連絡を取り、さんと話をすることが出来る。

 さんと連絡を取るのは一人の人間として、そして一人の探偵としてだ。僕は彼女ともっと話がしたいし、彼女のことをもっと知りたいと思っているが、探偵としての仕事も忘れてはいけない。さんの疑いを晴らすという、重要な仕事を僕は担っている。

 仕事で疲れているさんを長く引き留めるのは忍びなく、僕は「じゃあ、おやすみ」と軽く挨拶をしてから自分の部屋に戻ろうとした。

「おやすみなさい。来週、楽しみにしてます」

 背後からさんの声が聞こえ、思わず振り返る。彼女は疲れ切った顔でにっこりと笑い、僕に向かって軽く手を振った後、部屋に入っていった。バタン、という扉が閉まる音が響き渡る。名残惜しさのような、寂しさのような気持ちを覚えた僕は、誰も居なくなった廊下をしばらく眺めていた。