花笑む狼 - 4

 ボクのPCの画面上には後処理を待つデータが大渋滞を起こしておりました。作業しても作業しても終わる気配がこれっぽっちも見えません。これは今夜も徹夜コースですかな、などと心の中で独り言を呟いていると、背後から「九十九君」とボクを呼ぶ声が聞こえました。振り返ったそこには予想通り杉浦氏が居て、おおこれは正に親の顔より見た男前!というような冗談が頭の中に浮かびました。

「あのさ、お願いがあるんだけど」

 杉浦氏はボクの返答を待つことなく話し始めました。その表情は今までにないくらいに真剣で、何かを思い詰めているようにも見えます。ボクはデスクチェアごとくるりと後ろを向き、そこへ座り直すようにしながら姿勢を正すと「なんですかな?」と応えました。

「今日、さんって確か尾行調査だよね?そろそろ良い時間だと思うんだけど、僕が迎えに行っても良い?」

 何故そのようなことをわざわざボクに許可を取るのかと思いましたが、少し考えてみれば分かることです。杉浦氏からすると作業が山積みのボクを置いて仕事を上がることを忍びないと考えたのでしょう。ボクは“何も心配いりません”という意味を込めて、歯を見せて笑いました。

「もちろん構いませんよ。もう遅いですし女性の一人歩きは危険ですからな。杉浦氏が一緒に居れば安心でしょう。合流したらそのまま二人とも上がって下され」

「うん……、わかった、ありがと」

 お礼を言う杉浦氏の声はボクが予想していたものよりも遥かに元気がなく、少々拍子抜けをしました。そういえばここ最近、杉浦氏とさんの様子がおかしいのです。まるで仲違いでもしているかのような雰囲気で、特にさんは杉浦氏を避けているように見えます。恐らく彼女本人は周りに気付かれないようにしているつもりなのでしょうが、一番近くで二人を見ているボクに隠すことは出来ません。

「杉浦氏」

 ボクに背を向け、事務所を出て行こうとしている杉浦氏の背中に声をかけました。彼は振り返り“親の顔より見た男前”な顔をこちらに向け「ん?」と返事をしました。その顔は穏やかな微笑みに見えて、どこか寂しそうにも見えました。

さんと、何かあったのですか?」

 オブラートに包むこともせず単刀直入に訊くと、杉浦氏は一瞬だけボクから目をそらしました。きっと言い難い事情があるのでしょう。杉浦氏は自分の首元に手を当てて「えっと……」と、ボクに伝えるべき言葉を一生懸命に考えているようでした。

「心配かけてごめん。でも大丈夫だから。今からケリつけて来る。結果はどうなるか分かんないけど……、いつか……、いや、明日にでもちゃんと話すから。約束するよ」

 杉浦氏は真剣な眼差しを真っすぐにこちらへ向けて言いました。ボクは彼を心配しているわけではなく、ましてや疑ってなどいません。いつも優しく穏やかな杉浦氏が、まるで今から狩りに出かける獣のように見え、何故かそれがボクにはとても誇らしく見えました。

「本当に欲しいものを手に入れるためには、羊も時には狼にならなければならないということですね……」

 ボクは独り言を呟きました。小さな声だったため案の定杉浦氏には届いておらず、彼は眉間に皺を寄せ「なんか言った?」と聞き返してきました。ボクは首を振り「いいえ」と応えます。杉浦氏はどこか納得がいっていないような表情をしていました。

「さぁ、さんを待たせてはいけませんぞ。お気を付けて行ってきてくだされ」

「そうだね。じゃあ、行ってくる」

 最後の挨拶を交わし、杉浦氏は再びこちらに背を向けて事務所を出て行きました。その背中はどこか決意に満ちていて、とても凛々しく見えました。

 さて、杉浦氏の良い結果報告をしっかりと聞くためにも、早くこの仕事を終わらせるべきでしょう。横浜九十九課所長、九十九誠一が成敗いたす!お覚悟!そんなことを考えながらキーボードのエンターキーを軽く叩いてみます。デスクトップ画面に表示されている時刻は、日付が変わるまであと数時間であることを示していました。

 無力なボクには杉浦氏とさんが良い方向に行きますようにと祈ることしか出来ません。いえ、杉浦氏とさんはきっと良い方向に行くでしょう。何の根拠もなくそう感じます。

「二人ならきっと、大丈夫」

 ボク以外誰も居ない事務所に独り言がこだまして、自然と笑みがこぼれました。


END
‎(2023‎.10.15)‎