焼きつく記憶色 - 1
レイチェルが死んだ。いや、正確には俺が殺した。彼女を傷つけるつもりなんか微塵もなかったし、その時の記憶は一切残っていないが、気が付いた時には冷たく動かなくなったレイチェルが目の前に横たわっていた。つまり、そういうことなんだろう。考えれば考えるほどに頭が痛くなるし、眠りたいのに眠れない。俺の中に響くクジラの歌だけに集中しようとしても、“彼女”の最期の顔がまぶたの裏にこびりついて離れなかった。
その後の俺は何事もなかったように学校生活を送っていたが、毎日のようにレイチェルのことを考えていた。いつもツルんでいる奴らと一緒にいるときも、部屋で映画を見ている時も、シャワーの時も眠る時だっていつもふとした瞬間にレイチェルの顔が浮かんでくる。たぶん俺は、レイチェルに惚れてた。
レイチェルが居なくなってから数か月経った日のこと。俺はダルさしか感じない学校生活のとある一日を終え、寮に戻ろうとしていた。美術室に置きっぱなしにしていた自分の資材と荷物を回収しようとドアに手をかけた時、中に人の気配を感じた。
別に誰が居ようとどうでもいいと思いつつも、何故か気配を消しながら音をたてないようにゆっくりとドアを開ける。中を覗き込むと部屋の中央当たりに置かれた机で、何やら作業をしている人間の後ろ姿が見えた。そいつ以外に人の姿は見えない。
その人物は女のようで、こちらに背を向けているために俺の存在には気づいていないようだった。そして机の上で作業をしていると思っていたがそれは勘違いで、女はどうやら自身の荷物の整理をしているように見える。俺の視線はその“荷物”に吸われた。
女の片手には、ぐしゃぐしゃに握りつぶされた金。ざっと見ても200ドルはあるだろうか。そしてもう片方の手には中身が見えないように細工された袋と、円状の小さな容器。瞬時に心のなかで“なるほどな”と呟く。
「おいテメェ、なにしてる」
誰も居ない教室は声がよく響き、女はすぐに振り返りこちらを見る。
持っているのは十中八九マリファナと、それをすりつぶすためのグラインダーだ。女の背後にあるバックパックには紙巻であるジョイントも入っているだろう。見なくても分かる。
大量のマリファナ、そして大量の金。導き出される答えは一つしかない。この女はマリファナを横流ししている。
「どこで手に入れた?」
問いかけながらゆっくりと近づく。女は手にしていた金とブツをすぐに鞄の中に押し込んだが、眉を動かすことも顔色ひとつ変えることもなく、ただ無表情のままに俺の顔を見つめている。かたく閉じられた口唇は俺の質問に答える気はないという意思表示に見えた。
何処かの誰かからマリファナを手に入れて、この学校の奴らに売り払って小遣い稼ぎをしている奴は今までに何人か居た。しかしそれは“俺の仕事”だ。見る限りこの女の顔に見覚えはないし、ボルテックス・クラブに入ってもいない奴に俺の真似事をされ、仕事の邪魔をされてはかなわない。
「俺の許可なく“ソレ”を売り回ってる奴が居るとはな」
更に近づき、威嚇するように顔を覗き込んだ。しかし女の表情は変わらず無表情のままで俺は苛立ちを覚える。
ふと、女の背後にある机に目をやった。そこには授業に使うのであろう資材や教科書などが置かれており、一冊のノートの下部に人物の名前のようなものが見えた。『』。恐らくそれがこの女の名前。
俺はの首のあたりに手を置く。もちろん絞める気なんかこれっぽっちもないし、コイツに危害を加える気などさらさらない。ただ少し脅そうと思っただけだ。黙り込み何も口にしないに顔を近づける。
「おい、。何とか言えよ。“誰にも言わないで”とか“何でもするから許してください”とかあるだろ?あ?」
の首に触れていた俺の腕に何かの感触がした。それは自身の手で、俺の手に重ねるようにして握っており冷えた指先が妙に不気味に思う。は俺の目を見つめ続けたまま、囁くような小さな声で呟いた。
「“誰にも言わないで”“何でもするから許してください”」
その言葉は先ほど俺が口にしたものと全く同じだった。ひどく馬鹿にされているような気分になり怒りがこみあげてくる。
「良い度胸だなクソアマ。その言葉忘れるんじゃねぇぞ」
首に触れていた手を移動させ、顎を強く掴んで持ち上げる。は自然とつま先立ちになり、苦しいのか無表情をやっと崩して眉を歪ませた。何かを訴えるようにこちらを見るがもうどうでもいい。見逃してやってもいいかとほんの少しは思っていたが、その気持ちが消え失せる。
「黙っててやるよ。その代わり、テメェは今日から俺の奴隷になれ」
鉄仮面を被った人形みたいなこの生意気な女は、俺を怒らせた。予想通り俺の言葉には反論すらしなかった。
。ノートに書かれたその名を見た時は覚えがあるという程度の記憶しかなかったものの、後にビクトリアと他愛のない雑談をしている時にやっと気が付いた。
レイチェルが居た時こそ彼女の影に隠れて見えなかったが、の成績はいつもレイチェルと競い合うほどに良かった。顔もそこそこの美人でスタイルも良い。そんなのことを何故俺が忘れていたのかと言うと、その原因は奴の性格にあった。
は社交性がほぼゼロと言っても過言ではなかった。誰とツルむわけでもなければ人と話している姿をほとんど見たことがなく、なにより表情に喜怒哀楽が見られずにいつも無表情。それを知ってか学校の連中はと関わることをしなくなったようだった。
見た目がそこそこに良かったため「俺の奴隷になれ」なんて言ってしまったが、失敗したかもしれないとぼんやり考える。しかし丁度良く使えるパシリが出来たと考えればまぁいいだろう。とりあえずはと俺が一緒に居るところを他の誰かに見られなければ良いだけの話だ。特にボルテックス・クラブのメンバーには。
俺はにマリファナの転売をやめさせた。こいつがブラックウェルの奴らにマリファナを売り続ければ俺の物が売れなくなるため、これ以上“ビジネス”の邪魔をされては敵わない。が転売をする理由を詳しくは聞かなかったが、どうせ小遣い稼ぎが目的だろう。
ひとまずは“奴隷”の仕事として課題のレポートや提出物の作成などをやらせた。しかし元々成績の良いはそれを簡単にこなしてしまうため、授業に使う資料集めや自室の掃除などをやらせても良いだろうと考えていた。
課題や提出物など“奴隷”の仕事が終わればすべてを自室に持ってこさせた。しかしここは男子寮で、女であるが入れば目立つし場合によっては教師に咎められる可能性もあるため、が来るのはいつも深夜。俺がメール一本送ればは遅れることなく決まった時間に現れた。
ある日の深夜。耳を澄まさなければ聞こえないのではないかと思うほどの、小さなノック音が扉から聞こえた。何の声も出さずに部屋のドアを開けると、真っ暗な廊下にが佇みこちらをまっすぐに見つめている。顎で合図し彼女を部屋の中に入れると、俺は静かにドアを閉めた。
「よこせよ」
黒い革張りのソファにどかりと腰を掛けながら、に手を出す。すると彼女は両手に持っていたノートや紙の束をこちらに差し出し、俺はそれをひったくるように受け取った。パラパラと大雑把に中身を確認するとすぐにソファの上に音を立てて置く。
「今回もまぁまぁだな」
鼻をフンと鳴らし皮肉の言葉を口にしながらを見る。彼女はまるで石像のように先ほどと同じ場所に突っ立ったまま、一ミリも動いてはいなかった。マジでつまんねぇ女。そう改めて思っていると、深夜の静かな部屋に小さな溜息が響く。
「こんな些細なことで“奴隷”なんて、意外と子供なんだね、ネイサン」
その溜息はの物だったようで、聞き捨てならない言葉も同時に聞こえてきた。言葉の意味を認識するよりも早くがこちらを見下ろし、見つめてくる。その顔はいつも通りの無表情であるのに、何故か俺を酷く嘲笑しているように見えてならなかった。
「奴隷なんて言うから、もっとひどいことされるのかと思ってたよ」
その言葉に思わずソファから立ち上がりに近づくと、胸倉を掴み出入口のドアに強く押し付ける。古く立て付けの悪い扉がミシミシと音を立てるも、そんなことは気にしていられなかった。
この女は俺を馬鹿にし嘲った。怒りがこみ上げ体中を満たしていくのが分かり、無意識に眉間に皺が寄り下口唇を噛みしめる。俺の感情とは裏腹には変わらずに無表情のままだった。
「良い度胸じゃねぇか。“もっとひどいこと”がされたいってなら、望み通りにしてやってもいいぜ」
そう言うと片手での腕を掴み壁に押し付け拘束し、もう片方の手で顎を掴み強く力を込める。目の前には白く細い首が暗闇の中で艶めかしく光っていて、俺はまるで吸血鬼のようにの首に歯を立てて噛みついた。
「う」
が小さな声を上げる。俺には吸血鬼のような牙などはないため、血は出ないしなんの味もしない。ただ幽霊のようなの白い首に深く赤い歯型がつき、それを目にすると何故か高揚感が胸に湧き上がった。
顔を上げを見ると、ずっと無表情だった彼女の眉間に小さな皺があることに気が付く。先程の高揚感が俺の中でどんどん大きくなり、あふれ出しそうになっているのが自覚出来た。もっとこの無表情を崩してやりたい。他の誰にも見せていない顔を見てみたい。そう率直に思った。思ってしまった。
俺は首に出来た歯型に口唇を落とすと、を強く抱きしめた。
その夜、俺とはセックスをした。特別な感情なんかないし快楽なんて考えていられなかった。ただ、事を進めるたびに紅潮する肌。触れた時に漏れた少し高い声。何度も吹きかかる熱い吐息。それが俺の中にある何かを捕らえて離さなかった。
“奴隷”として扱っていたが壊れずに俺の腕の中に居たのは、きっと俺が臆病だったからだ。俺は怖かった、怯えていた。いつか俺はレイチェルと同じように、を壊してしまうんじゃないかって。