good morning HUMAN - 3
近年、自由と権利を手に入れたアンドロイドたちは、犯罪に手を染める者も少なくはなかった。ある者は自分の意志で、ある者は人間と組んで、そしてある者は人間に虐げられ犯罪に加担していた。人間とアンドロイドの犯罪を同等に扱う僕たち警察だが、やはり人間とアンドロイドでは体の作りや思考が違うため、僕のようなアンドロイド捜査官は必要な存在であると自負していた。
僕とハンクはとある場所でレッドアイスを始めとした既存のドラッグと、更に新種のドラッグが違法に売買されているという情報を掴んだ。その場所というのが、アンドロイドも入店を許可されているバー。一見では外も中も至って普通のバーに見えるその店のどこかで違法取引が行われていた。
予想では店の地下あたりに取引をする者しか入れない部屋があるはず。そんなのは昔からよくある話だ。良く知られた手口ではあるものの、一番安定しているであろうその手口を犯罪者はそう簡単には変えないのだろう。
しかし問題はその“取引部屋”にどう潜入するかだ。署の者で一斉に現場を押さえても良いかもしれない。しかし部屋への入口も把握していないし、部外者を簡単に入れてくれるとは思えない。そのような場合、部外者を排除する一番簡単な方法がある。それは“関係者しか知らない暗号が無ければ入れない”という仕様にすることだ。
僕とハンクはその日、署で会うなり座り込んでお互いの顔を見合わせた。デスクの上には一枚のメモ。それは先日ドラッグの違法売買で逮捕された男のズボンのポケットから発見されたものだ。男は僕たちが目をつけていたバーでドラッグの取引をしたようだった。
“酒飲みが好きな仲間外れ”
メモに書かれていたのはそれだけの一文。言葉の意味は分かる。しかしその文章が何を言いたいのかは僕には分からない。
「どう思う?コナー」
ハンクが唸るように低く呟き、こちらを上目遣いで見る。僕はハンクと目を合わせてからすぐにデスクの上に置かれたメモを見たが、何度眺めても書かれている文章は変わらないし、意味も分からない。
「言葉は分かります。けれど、分かりません」
「……分かるのか分からねぇのかどっちなんだよ」
言い返された言葉はごもっともで僕は何も言えなくなる。ハンクはハァ、と大きなため息をつき、デスクの上に置きっぱなしになっているマグカップを手に取って口をつけた。きっと中のコーヒーは冷めきっているだろう。
「なにしてんの?」
僕とハンクの間に流れる重苦しい雰囲気をひとつの声が引き裂いた。二人同時に声のした方向を見ると、僕にとっては見覚えのある顔、が立っていた。目を細め睨んだが、彼女は片手をあげへらへらと笑いながら「やぁ」と軽い挨拶をする。ハンクは間抜けに口を開けて僕とを交互に見ていた。
「なんであなたがここにいるんですか……。どうやって入ったんですか」
「まぁまぁ良いじゃない。そんなことより何の話してたの?」
「良くありませんし、そんなことよりじゃありません。出てってください」
低く言い放つと、は「そんな冷たいこと言わないでよ」と猫なで声で言い、僕の方に近づいて肩に手を置く。その間もハンクは状況が理解出来ていないのか素早く瞬きを繰り返しつつ、言った。
「おいコナー。この間からなんなんだよこの小娘は」
「こ、小娘!?」
ハンクの言葉には心外だとばかりに大きな声を上げた。ハンクはつい先日このオフィスに「アンドロイドのコナーくん居ますかぁー!?」と叫びつつ入ってきたの姿を覚えていたらしい。まぁ、あのようなインパクトのある姿なら覚えていないという方がおかしいのかもしれない。
ふと気が付くと。の目線がデスクの上に注がれていた。正確に言うならデスクの上ではなく、デスクの上に置かれたメモだった。しまった。そう思ったのと同時に、僕が阻止するよりも早くがデスクの上のメモをかすめ取る。
「何をしてるんですか。返してください」
メモを取り返そうと僕が手を伸ばすと、は逃れるようにこちらに背を向け少しだけ距離を取る。僕は椅子から立ち上がり、背を向けたの正面に回り込んで睨んだが、は何故かとても楽しそうに笑って言った。
「分かった!これ事件の手がかりでしょ。“酒飲み”と、“仲間外れ”……、フーン、成程ね」
「あなたには関係ありません。さぁ早く、返して下さい」
腕を伸ばしの手にあったメモを奪い返すと、彼女は「あー!」と短く大きな声を上げる。その様子に僕はフンと軽く鼻を鳴らし、奪い返したメモをポケットに押し込みながら椅子にどかりと腰かけた。目の前のハンクは僕との様子を見つつ、やれやれと鼻で長い溜息をついている。
「ちょっと、少しくらい見せてくれたって良いでしょ」
「あなたには関係ないと言ったでしょう。さぁ、部外者はお引き取りください」
「関係なくないよ。私知ってるんだからね。この事件、ドラッグの違法取引にアンドロイドが関わってるかもしれないって話でしょ」
の言葉に僕は目を見開いた。恐らくはハンクも同じような表情をしていただろう。
何故、という思いが頭を支配した。この事件は言わばまだ“小さい”。違法取引に関わっている者は多いと予想されているものの未だ逮捕者は少なく、事件自体も明るみには出ていない。少なくとも警察関係者以外の人間、のような一般人が知っているはずもない事件だ。それなのに何故彼女がこの事件の事を知っているのだろうか。
「なぜ知ってるんですか」
再びゆっくりと椅子から立ち上がり、の顔を見ながら言った。彼女の表情は先ほどの悪戯っぽい笑顔から、少しだけ寂し気な顔に変わっていく。目を伏せ、まるでなにかを嘲っているかのように軽く笑った。
「その店のオーナー、私の友達だったから」
“だった”。その部分が引っかかる。これは予想だが、いま彼女が“まるでなにかを嘲っているかのように軽く笑った”のは、おそらくはそのオーナーとやらを笑ったのだろう。自身の店で犯罪に加担するような行為を許してしまった、友達であった、オーナーを。
「私、バーで雇いたい従業員アンドロイドの手配に協力したの。友達だったからね。でもそんな犯罪に加担するような店だって知ってたら協力なんかしなかった。そんなのアンドロイドがかわいそうじゃない」
極めて明るい口調で、そして早口では話す。表情に悲しみや怒りの感情は見えなかった。ただ、軽蔑、呆れ、そしてそれと共に裏切られた寂しさだけが溢れ出ているように見える。
「アンドロイドはドラッグなんか使えないのにさ、人間に情を感じてるんだか何だか知らないけど、犯罪に手を染めるなんで本当、馬鹿だよね。そんなアンドロイドを利用してる人間はもっと馬鹿」
はそう言うと目線をこちらに向けたが、僕とは目が合わない。彼女が見ているのはハンクだった。
「本当、人間って愚かだよ。愚かで汚くて醜い」
アンドロイドの僕ではなく人間であるハンクに、まるで言い聞かせるようにゆっくり、はっきりとした口調で言った。しかしの目線に憎しみなどはこもっていない。恐らくは人間であるハンクに同意を求めたのだろう。しかしハンクは決して愚かではない。少なくとも他の人間とは違うと僕は思っている。
「おい小娘……じゃねぇ、……お嬢ちゃん」
ハンクがを呼ぶ。低く唸るような声色だったが、ハンクはいつもこんな調子なので決して不機嫌なわけではない。大概の人ならひるむようなハンクのその態度にもは屈せず、至って平常に見える様子で「なに?」と返事をした。
「アンタ、オーナーと友達だったんなら、メモの意味が分かるんだろ?教えてくれねぇか」
先ほどがメモを見た時の「成程ね」という小さな呟きをハンクは聞き逃さなかったらしい。は少しだけ驚いたように目を丸くしたかと思うと、にっこり笑った。
「いいよ。教えてあげる。でもその代わり条件があるの」
“条件”。その単語にとても嫌な予感がした。彼女のにこやかな表情に僕の眉が歪む。
「コナーが私の友達になること。それが条件」
はハンクと見つめあっていた目線を外し僕の方へ向き直ると、まるであの日と同じように目の前に手を差し出した。そう、先日署の駐車場まで彼女を引っ張っていった時、同じように手を差し出し握手を求めながら僕に「友達になろうよ」と言った、あの時のように。
「さ、どうする?“アンドロイドのコナーくん”?」
何の返答も反応すらもできずただ固まる僕の顔を見ながら、はまるで子供のようにとても楽しそうに笑っていた。手を差し出したまま笑うと、彼女のその手を見つめたまま微動だにしない僕。そんな妙な膠着状態を破ったのはハンクの一声だった。
「よし、分かった」
僕はハンクがこの状況を傍観しているつもりなのだろうと考えていたので、その声に少し驚き“何が分かったのだろう”と思いつつ彼の方向を見た。ハンクはおもむろに椅子から立ち上がり一歩前に出ると僕の腕を掴んで、差し出されていたの手の方へ持っていく。
「コナー、お前この小娘と友達になれ」
ハンクはためらいのない様子で言うと、僕との手を無理矢理に握手をさせた。「え?」と呟き驚く僕と「え!」と声を上げ嬉しそうに笑う。目の前に居て同じような声を上げたはずなのに、お互いの感情は反していた。
「ちょっと待ってくださいハンク。本気で言ってるんですか?」
“握らされた”の手を振り払って反論すると、ハンクはまぁまぁと言わんばかりに両手の平をこちらに向け僕をなだめるように言う。
「いいじゃねぇか友達のひとりやふたり。この小娘、そこまで悪い奴には見えねぇしな」
「ちょっとオジサン。私には・っていう立派な名前があるんだけど。小娘じゃなくて」
“小娘”という呼称にが噛みついた。顔の前に人差し指を立てながら反論するに、ハンクは僕をなだめた時と同じように「分かった分かった。悪かったよお嬢ちゃん」と言う。
ちょっと待ってくれ。口には出さないが頭の中で強く叫ぶ。どうしてこんな事になっているのだろう。まず僕は彼女と友人になることを了承していない。しかしこの雰囲気は断れる状況でもなさそうに思えるし、何より今はドラッグの違法取引の件についての情報が少しでも欲しい。
「……わかりました」
呆れと諦めの気持ちが混ざり、意図せず声が小さくなる。僕の言葉にはこちらに顔を向けたかと思うと、とても嬉しそうに笑う。文字通り瞳がキラキラと輝いて見えた。僕はが望むような“友人関係”などを築く気はなく、メモの答えを知りたいだけ。それを聞いたらさっさと彼女との関りを絶ってしまえばいい。そう思った。
「僕はあなたと友人になる。ですから、そのメモの答えを教えてください」
こちらの思惑も知らずに無邪気に喜ぶの様子に少しだけ良心が痛むような気もするが、そんな事は言っていられない。僕は返答を催促するかのようにの方向へと一歩前に出て、顔を近づけた。
「メモの答えは多分、オリーブだよ」
は一言だけ呟き、得意げに笑う。僕はハンクと顔を見合わせたが、彼はの言葉が理解出来ていないようで、眉間に皺を寄せて険しい表情をしている。当然僕も、の言葉の意味が分からなかった。
「オリーブ……、とは、どういう意味ですか?」
「オーナーはすっごい酒豪なんだ。つまりこの“酒飲み”ってのはオーナーのことだと思う。あいつドライマティーニが好きなんだけど、いつもオリーブ抜きで飲むの。つまりそれが“仲間外れ”ってことじゃない?」
言葉を選ぶ様子もなく、はすらすらとスムーズに言った。ドライマティーニ。それはカクテルの一種。ポピュラーかつシンプルな酒だが、グラスの中に口直しのグリーンオリーブが入っているのが一般的だ。彼女が言った“オリーブ”。その単語をバーに居る所謂“見張り役”に伝える事によって、ドラッグの違法取引が行われている秘密の部屋に入れるのかもしれない。
目を伏せながら口元に手を当てて考えていると、目線を感じた。ふと顔を上げると目の前のが今にも“どうだ”と言わんばかりのしたり顔をしている。その表情に胸の奥がざわついた。悔しいような、癪に障るような、それでいて感謝の言葉を言いたくなるような、なんとも表現しにくい不思議な気持ちになる。
「感謝するぜ、お嬢ちゃん」
耳にハンクの声が飛び込んできた。彼の方向を見るとまるで“行くぞ”と言うかのように顎でオフィスの出入口を示し、歩き出す。恐らくは現場に向かうのだろう。僕は何も言わずに頷くと、ハンクの後ろ姿を追って同じように歩き出した。
「え、ちょっと、待ってよ」
背後からの声が聞こえたが、僕の目の前のハンクはそのまま歩き続ける。もちろん僕も立ち止まる事はせず、その声は聞こえないふりをした。オフィスを出て玄関ロビーに続くゲートを通過する。
「忘れないでよねコナー!私たち、今日から友達だよ!友達だからね!」
署の玄関ロビーにまでの叫び声がこだました。耳を塞ぎたくなる気持ちをおさえながら、僕は玄関のドアを開けて外に出る。
「うるせぇダチが出来ちまったな、コナー」
「誰のせいだと思ってるんですか」
パトカーに乗り込み、シートベルトを締めながら呟く。ハンクの顔を見ると何故か嬉しそうに、そしてどこか満足そうな笑みを浮かべている。その表情が意図するものが僕には分からない。
僕が何故、と友人となる事を拒否したかったのか。それは彼女と関わりたくないからだ。僕の製作に携わったと思われるバル・の孫であり、僕の胸に浮かび上がった名の持ち主である、に。これは全てプログラムされたことに違いない。の名が僕の胸に浮かび上がったことから始まり、僕が彼女を探し突き止めたことも。彼女が僕に付きまとい関りを持とうとしていることも、きっとすべてはバルの思惑通り。僕は僕を作った人間の思い通りになどなりたくはないんだ。
あの日、僕とハンクはそのまま例のバーに向かったが、陽が落ち切っていない時間ではまだ営業しておらず、しかも運悪く定休日だった。僕たちは相談し、後日バーへの潜入捜査を決めた。ハンクはいつもと変わらずの恰好だったが、僕はいつものジャケットではないラフな格好で、まとめている髪を少しだけ下ろして前髪を作り、変装のために太い黒縁の眼鏡をかけた。ハンドガンと警察バッジは懐に隠し、片耳だけに装着されたイヤホンは無線機に繋いでいつでも連絡は取りあえるようにしておいた。
いざ潜入、という時だった。僕とハンクはバーの目の前でまるで石のように固まる。店先に置かれていた小さな看板から目が離せなくなっていた。
「カップルデー……だと?」
ハンクが不機嫌そうに呟く。店先に置かれた小さく簡易的な看板。そこに白いマーカーで『本日カップルデー!恋人同士のお客様のみ」』と書かれており、右下の方に小さく『※同性も可』と付け足されていた。僕はその看板に書かれている文字を何度か読み、ハンクの顔を見る。ハンクは眉をひそめ、頬の筋肉がひきつっているように見えた。
店は見た目こそごく普通の一般的なバーだが、水面下でドラッグの違法取引が行われている。これは間違いない。僕は容疑者逮捕のためなら変装だってするしゲイカップルに偽装したっていい。そう思っていたが、ハンクは少し抵抗があるように見えた。
店先で立ち尽くしては怪しまれると思い、僕たちは少し離れた場所へと移動した。さてどうするかとお互いに顔を見合わせた時、背後から声をかけられる。
「お困りのようね、お二人さん」
聞き覚えのある声に僕はため息をつきアイローリングする。振り返るとそこにはが立っており、ハンクは驚いたように目を丸くし声を上げていたが、僕は彼女がそこに居ることが予想できたので、これっぽちも驚かなかった。
ハンクはゆっくりとに近づき、まるで子供をなだめるように彼女の頭に手を置いて言う。
「またお嬢ちゃんか……ガキは寝る時間だ。帰りな」
「ちょっと、わたしこれでも成人してるんですけど。カップルデーなら私が一緒に入ればいいじゃない?ね?どう?」
二人のやりとりはまるで“おじ”と“姪っ子”のようだと呑気に思う。僕は頭が重く、何もかもが面倒になりただその様子を傍観していた。彼女は何故こうも何度も僕の目の前に現れるのか。しかも今回は僕たちの仕事にまで介入しようとしている。は一般人であり、僕たちとは何の関係もない。僕と友人になるだとかふざけたことを言っているが、そんな事も関係はないし、まず僕は彼女と友人になったつもりもない。
しかし考えた。カップルデーと題し恋人同士の入店しか許可していないのであれば、見た目的な年齢が近しい男女連れが一番不自然ではないだろう。そしてはオーナーと友人関係にあると言っていた。入店してもしオーナーが現れれば、の存在で怪しまれずに自然にオーナーに近づけるし、もしかしたらドラッグの取引が行われているであろう部屋にもスムーズに潜入できる可能性もある。
ふと視線を感じ顔を上げると、ハンクが僕の顔を見ていた。彼のその目を見れば分かる。きっと僕と考えている事は同じだ。
「おい、コナー」
ハンクが僕の名を呼ぶ。次のセリフは予想出来ていた。
「お前、このお嬢ちゃんと行ってこい」
予想していたとは言え、少しだけ肩が落ちた。ハンクの言葉を聞いたは小さく「やった!」と言いながら両手を顔の前で合わせる。
「そう言うと思いましたよ……」
何故か嬉しそうなハンクの顔も、喜ぶの顔も見たくはなく、ただ俯きその言葉を呟いた。