神の星 - 5

 西谷さんと一夜を共にした日から、彼は場所や状況を選ばずに私の体を求めるようになった。つい先日は廊下で事に及んでしまったぐらいで、はっきり言えばとても困る。しかし西谷さんとの行為は痛みすらも快感に変わる不思議な感覚があり、どうしても拒否出来なかった。分かりやすく言えば体の相性が良かったとか、私が自覚のない変態の痴女だったとか、そういうことなんだろう。

 ただ欲を晴らすのならば私でなくてもいいだろうと思ったこともある。いつも西谷さんの周囲にいる美しい女性たちはただの世話係のようで、『そういうこと』をするのは私一人のようだった。ああなるほどと合点が行く。つまり私は『西谷誉の性欲処理係』ということなのだろう。全くもって光栄な話だ。

 西谷さんは私を抱くだけでなく頻繁に贈り物をよこしてきた。初めは見たこともないくらいに綺麗な宝石や誰もが知っているようなブランド物のバッグなどをプレゼントされた。興味をそそられなかった私がそれを断ると、今度は花束や美味しそうなフルーツをプレゼントされた。草だの花だの果物だの私は草食動物かと言いたくなったが、西谷さんは「女はこういうのが好きだろ」と言ってどこか嬉しそうに笑っていた。

 姿を現わすたびに私に何かしらを与える西谷さんはまるで初孫が出来た老人かのようだった。そんなことを思いながらも、彼がくれた豪勢な花束は部屋に活けると美しくて癒されたし、瑞々しいフルーツは美味しくて船上で暮らしている身からするととてもありがたかった。

 この場所から逃げ出そうとしている私は、想像よりもずっと優しく接してくれる西谷さんに対して多少なりとも後ろめたさを感じていた。しかしいつまでもこんな非現実的な場所に居たくはない。私はいつ何時であろうと脱出の機会をうかがっていた。

 キャッスルは月に何度か燃料と物資の補給のために港に立ち寄ることがある。西谷さんは一年以上もこの場所で暮らしているらしいが、そんなことが出来るのはこの『補給』があるからこそだった。恐らく港自体にも極道の息がかかっているのだろう。そうでなければこんな違法で規格外の船を警察が見逃すはずがない。

 脱出のチャンスはその補給時だ。運び込まれる物資に上手いことまぎれるか、もしくはスタッフのふりでもすれば船から降りることも容易だろう。どうせ借金の形に売り飛ばされた私だ。存在は知らない者の方が多いに違いない。大丈夫だ。私ならきっと上手くやれる。何の根拠もない自信で自分を奮い立たせることで精神を保っていた。

 次の補給が数日後に迫ったある日のこと、西谷さんに呼び出しを受けた。場所はキャッスル階下にある大きなプールの脇だった。彼は特に泳ぐわけでも無く、プールサイドのビーチチェアに座って何かしらのお酒を飲んでいた。

「よぉ!!こっち来いよ!」

 西谷さんはこちらに向かって手を振る。私は内心、先日の廊下ならまだしもこんな何もかもが丸見えの場所で求められたらどうしようと思い恐る恐る近付いた。彼は私の内心を察したのか「今日はなんもしねえって」と言って目を細め、自分の隣のスペースを手で叩く。体を伸ばして座れるようにデザインされたビーチチェアは足を下ろせば二人分の座れるスペースが出来る。仕方なくそこへ腰を下ろすと肩が触れ合い妙に緊張した。

 すぐ近くにいたスタッフに西谷さんが飲んでいるお酒と同じ物を貰った。グラスとグラスをぶつけて乾杯をする。今日の西谷さんは様子が違って見えた。いつもより笑顔が穏やかで優しく見えるし、口数もあまり多くない。いつもであれば私に会うなりああだこうだ言ったり、体のどこかしらを触ったりキスをしようとしたりするが、先ほどの『今日はなんもしねえ』という言葉通りこちらに手が伸びて来ることはなかった。

「なぁ」

 酒を一口だけ含んだ時、西谷さんに小さく声を掛けられた。こくりと音を立てて液体が喉に流れていくのを感じながら、私は西谷さんの顔を見て軽く首を傾げ、それを返事の代わりとする。

「渡瀬の兄貴っつう、すげえ大事な人がいまムショに居て、あともう少ししたら出てくんだよ」

 なんの前触れもなく言われ戸惑う。『渡瀬の兄貴』という名に聞き覚えなどは一切なかった。西谷さんが言うのだからもちろん極道関係者なのだろう。刑務所に居るということは法的に罰せられたということになる。

「あの人の出所祝いは、盛大にやってやりてえって思ってる。お前も来いよ。渡瀬の兄貴を紹介してやっから」

 驚きから思わず「えっ」と間抜けな声がもれた。盛大な出所祝いをするとか渡瀬の兄貴を紹介するだとかそこに驚いたわけではない。私は『お前も来いよ』という誘いに驚いた。極道に何の関係もない私が出所祝いという場に出向いて良いものだとは思えなかった。

「渡瀬の兄貴はマジで良い男なんだ。お前も惚れちまうんじゃねえか?」

 困惑し何の返答も出来ないでいる私に気が付いていないのか、西谷さんは続けて言う。渡瀬の兄貴とやらの話をしている時の彼の顔は今までに見たことがないような表情だった。分かりやすく言うならば無邪気。まるで少年かのようなあどけない笑顔を私に向けている。プールの水に反射した光が西谷さんの瞳に入り込み、キラキラと輝いて見えた。

「西谷さんは、その渡瀬の兄貴ってひとのこと大好きなんですね」

 考えていたことが自然と口から出てしまった。西谷さんは私の言葉が意外だったようで目を丸くしてこちらを見ている。その表情を見た瞬間にしまったと思い、自分の失言を誤魔化すように口元に手をやった。しかし声に出して口から出してしまった時点でもう遅い。

 出過ぎたことを言いましたと謝罪をしようとしたその時、西谷さんは吹き出すように笑い、変わらない無邪気なままの表情で私を見た。

「大好きか。ああ……、まぁ、そうだな。大好きで間違いねえよ」

 西谷さんは怖いし、極悪だし、頭がおかしいし、理解出来ない部分があまりにも多すぎる。そんな彼でもこんな優しく笑うことがあるのかと思った。酒が入っているせいもあるのかもしれない。それでも私はここへ来て初めて西谷さんに情を感じた。西谷さんをこんな顔にさせた『渡瀬の兄貴』とやらが羨ましいとすら思ってしまった。

 もしも渡瀬の兄貴とやらの出所祝いに行くことになったとして、西谷さんは私のことを何と言って紹介するのだろうか。『俺の性欲を処理してくれる奴隷』だなんて言われてしまうのだろうか。そう考えると少しだけ胸が痛んだ気がした。

 西谷さんを真っすぐに見ていられなくなり何となく目を伏せる。するとこちらに大きな手が伸びて来て、柔らかな手つきで頬をさすられた。視界の端に黒いネイルが映り込む。相変わらずの優しい仕草に心臓のリズムを乱されるような感覚がして手を振り払った。

 西谷さんは私が持っていたグラスを奪うと近くにあったサイドテーブルの上に置く。そして両手をこちらに伸ばすと今度は顎を掴まれ顔を上げさせられた。無表情と目が合いそのまま顔が近付いてくる。キスをされるのだとすぐに分かった。顔を背けてそれを阻止しようとする。

「さっき何もしないって言ったじゃないですか」

「うるせえ。気が変わった」

 半ば無理矢理に正面を向かされる。綺麗すぎる顔が一気に近付いてきたかと思うとそのまま口唇を塞がれた。上口唇を甘く噛まれ、今度は角度を変えて下口唇を甘く噛まれる。初めて西谷さんとキスをした時は血が出そうなほど強く噛まれ痛かったのに、今日のキスは同じ人だとは思えないくらいに優しかった。頭がぼうっとし、このままどうにでもしてもらいたくなる。

 これは情なんかじゃない。私はこの人の奴隷でしかない。奴隷が主に感じる情など存在しない。もし存在するのだとしたらそれは盛大な勘違いだ。奴隷が主を愛することなど、主が奴隷を愛することなどありはしないのだから。