嘘吐きは色恋のはじまり - 2
結局、好意に甘えて青椒肉絲は食べて貰うことにした。他に客の姿がなかったため丁度良いと思い、テーブルに青椒肉絲を出しながら彼女の向かいの席に腰を下ろして自己紹介をする。そして彼女も同じように「です」と自己紹介をした。という名を頭の中で何度も繰り返し呼んでみる。のことはずっと『青椒肉絲の彼女』と呼んでいたので妙な違和感があった。
「あ、そういえばあの時はお礼を言いそびれてしまってすみません。助けて頂いてありがとうございました」
はそう言って頭を下げた。『あの時』とは彼女をナンパから助けた昨日のことだろう。あまりにも馬鹿丁寧な対応に真面目な子だなと感じる。「どういたしまして」と軽く返事をすると、顔を上げたと目が合って自然と笑みがこぼれた。
聞くと、は転職でこの辺りに引っ越して来たばかりらしく異人通りが危険な場所だという認識がなかったらしい。職場は予想通り佑天飯店の近くにあり、昼休憩にここへ来ているのだと話した。
はいつものように青椒肉絲を次から次へと口に運んでいった。美味しそうに食べてくれる姿をこんなにも間近で見れるのは料理人冥利に尽きるな、などと少し大げさにも感じてしまう。途中はどこか気まずそうに目を泳がせた後、「そんなに見られると食べにくいんですけど……」と遠慮がちに言って苦笑いを浮かべた。
「ごめん。あんまり美味しそうに食べてくれるからさぁ。青椒肉絲そんなに好きなの?」
笑いながら問うと、は手に持っていた茶碗をテーブルに置いてこちらを真っすぐに見つめた。どこか真剣で、それでいて戸惑ったような表情に妙な圧を感じ、俺はテーブルに頬杖をつくのをやめて姿勢を正す。
「青椒肉絲は好きです。ていうか、あの、もしかしてなんですけど……、今日間違えて作っちゃったのは、私がいつも青椒肉絲ばかり注文する客だって覚えててくださったからですか?」
核心をつかれて心臓が跳ねる。たまたまだよなどと噓をついて誤魔化しても良かったが、どうしてか彼女には正直な気持ちを聞かせたいと思ってしまった。
「うん、そう。あーあ、バレちゃってたかぁ」
本音を口にして笑って見せると、も同じように笑う。口元に手を当てて控えめな声を上げるその姿はどこか上品で、とても可愛らしく見えた。
「お客さんのことちゃんと覚えてるんですね。とても素敵だと思います。やっぱりここは、良い店です」
はそう言って再び上品に笑った。きっと彼女は俺を勘違いしている。は俺のことを『良く行く店の良い店主』ぐらいにしか思っていないんだろう。俺は『お客さんのことをちゃんと覚えている』のではなく『のことをちゃんと覚えている』というだけだ。だから覚えてたんだよと口に出してしまいたかったが、それが出来なかった。
目の前のの顔をぼんやりと眺めていると、どこからか電子音が聞こえてきた。それはスマホのアラームだったようで、は慌てた様子で鞄からスマホを取り出し音を止める。そして時刻を確認すると「もうこんな時間」と独り言を呟いた。
「そろそろ昼休憩が終わるので会社に戻りますね。ご馳走様でした。お会計お願いします」
は静かに椅子から立ち上がり、鞄と上着を持ってレジに向かおうとした。良く見るとテーブルの上にある皿は全てが空になっており、俺と会話をしながらいつの間にこんなに食べたのだろうと感心すら覚えてしまう。
楽しい時間はあっという間などと言ったりするけれど、それは本当なのだなと実感してしまう。俺はともう少し話がしたかった。俺の作った料理を食べる彼女の姿をもう少し見ていたいと思ってしまった。
「良かったら夜も来ない?」
俺の誘いに、は「え?」と小さく声を上げながら戸惑った様子を見せた。
「ほら、俺たちもうトモダチでしょ?一緒に飲もうよ。お近づきの印にさ。会計はその時で良いから」
この言い方は我ながらズルいと思った。先ほどは引っ越して来たばかりと言っていたため、恐らくこの辺りに知り合いなんかほとんど居ないのだろう。『俺たちはもうトモダチ』だなんて、まるでそこに付け込むような言い方だ。
は俺のあくどい思考に気付きもせず、目を丸くしながら「いいんですか?」と問い返してくる。迷うことなく頷いて見せた俺に向かって無邪気な笑顔を見せた。
「じゃあ今日は頑張って定時に仕事終わらせますね!また夜にお邪魔します」
こちらに向かって丁寧に頭を下げた後、は店を出て行った。なんとなく彼女が座っていた椅子に目をやる。テーブルの上には綺麗に空になったお皿がいくつか残されており、それを片付けようと手を伸ばした。なんとなくそこにのぬくもりが残っていて、それが目に見えるようにすら感じてしまった。
「趙サン、あなた嘘つき」
背後から声が聞こえて、驚きから思わず肩が震える。声のした方向に振り向くと、店員ちゃんがジッと俺の顔を見ていた。表情は明らかに不機嫌そうに見える。
「え、なに?どゆこと?」
呼びかけに恐る恐る応えると、店員ちゃんは顔をこちらにグッと近付けて怪訝そうな目で俺を睨んだ。
「トモダチ、嘘。トモダチと思ってない。趙サンあの子のこと狙ってる。違う?」
思わず顔が引きつった。店員ちゃんにはとの会話を一から十まで全て聞かれていたらしく、少しばかり照れ臭い気持ちになる。しかし問題はそこではない。『あの子のこと狙ってる』という店員ちゃんの言葉に心臓の音がいつもよりうるさくなったような気がして戸惑った。
「ちょっとぉ、鉄爪だけじゃなくてお前までそんなこと言うの?そんなんじゃないってば」
嘘だった。店員ちゃんが俺の嘘を見抜いたのかどうなのかは分からないが、目を細め、まるで不審者でも見るような表情をこちらに向けている。それをなだめるように体の前に両手を出し「まぁ、まぁ」と口にしたが、店員ちゃんの表情も態度もまるで変わらなかった。
店員ちゃんの言葉は図星だ。確かにトモダチだなんて嘘だし、そんなんじゃないなんていうのも嘘だ。店員ちゃんの言う通り俺はを狙っている。あわよくば彼女のことをもっと知りたいと思っている。もう少し近付いて、俺の料理を食べるの姿をもう少し眺めていたいと思っている。
まいったな、と頭の中で独り言を呟きながら頭をかく。こんなのは昨日、をナンパしたあのチンピラたちと一緒なんじゃないかと思ってしまう。俺も一人の女の子を目の前にしたらあいつらと同類なのかと思うと、自嘲を意味する笑いがこみ上げて来てしまった。