※『溺れるシーラカンス』 『愛しきエンヴィー』と同一主人公の後日譚
吐き出すコンフェッション
「ねぇ、そこのきみ!」
夕方。いつものようにシャルルに向かおうと駅に降り立ちホームを歩いていると、背後から声をかけられた。自分に声をかけているのかどうか確信が持てなかったが、周囲には私以外には誰も居なかったため、声のした方向へ振り返る。
そこには一人の男性が立っていた。もちろん知り合いではないし見覚えも一切ない。年齢は私と同じくらいだろうか。黒髪の短髪に、ぱっちりとした大きな目を持った爽やかな顔立ちで、身長が高くスタイルも良い。一般的に“イケメン”と言われるような人であるように思えた。
私はもう一度周囲を見渡し自分以外の人が居ないことを確認すると、男性に「私ですか?」と問う。すると男性は力強く頷きながら、ゆっくりとこちらに近づいた。
「あのさ、きみ、この時間に良くこの電車に乗るよね?」
確かに私は大体いつも同じくらいの時間帯の電車に乗り、東さんに会うためにシャルルに向かう。問いに「はぁ」とか「まぁ」とか曖昧な返事をすると、男性は一歩前に出て笑顔を見せた。
「俺、きみのことずっと前から気になってたんだ。良かったら連絡先とか教えてくれないかな?」
私にはこの状況があまり理解出来なかった。電車の中で良く見る人同士で恋愛が始まるなどという漫画やドラマの中で見たようなことが自分に起こるなんて思いもしなかった。いや、そもそもこの男性は私のことが「気になる」というだけであって、別に愛の告白をされたわけではないのだが。
「あ、えっと……すみません、私、……」
そこまで口にして言葉に詰まった。こんな状況になったのは生まれて初めてのため、どう返答するべきなのか迷い、困惑する。この見知らぬ男性に“私には東さんが居るので”なんて言えるはずもないし、そもそも私と東さんは恋人同士というわけではない。代わりになる言葉はやはり“私には好きな人が居るので”が適当だろうか。
私は東さんが好きだ。そう改めて考えたところでハッとする。そういえば私は東さんに「好きです」と伝えたことはあるが、逆に“好き”だと言われたことはない。私は毎週のようにシャルルに通い詰めているが、東さんから私に会いに来てくれたことはない。
未だ一方的に私が好きなだけなのかもしれないと思うと、少しだけ心が痛んだ。東さんは私のことをどう思っているのだろう。私は心地の良い今の関係に甘えていた。彼のそばに居られる今のポジションに満足してしまっていた。東さんが私のことを好きかどうか、確かめることもしないまま。
「私……、好きな人が、居るので……」
絞り出すような声でやっと言うと、相手の返事も聞かず反応も見ずにその場から走りだした。階段を降り、そのまま神室町方面の出入り口に直行する。駅から出るとシャルルへと小走りで急いだ。早く東さんの顔が見たかった。
シャルルに到着すると、東さんはいつものようにカウンターに寄りかかりながら店内をぼんやりと見つめていた。恐らく今日も子供たちが遊びに来ていたのだろうが、もうそろそろ日が沈む時間帯のため全員家に帰ったのだろう。店内はただ規則的なゲームの機械音が響いているだけだった。
「よぉ、今日は遅かったな」
東さんは私の顔を見るなりに言う。大体いつもと同じくらいの時間帯のはずだが、もしかしてあの男性と話をしていたため遅れたのだろうかと考える。先程の男性のことを東さんに話すべきなのだろうか。いや、したところで、だから何だと思われるかもしれない。
「おい。?」
何の返答もしない私を不思議に思ったのか、東さんが名を呼ぶ。目が合い、分かりやすく心臓が跳ねた。その目を見つめたまま問いたかった。東さんは私のことが好きですか?と。
声を出そうと口を開いたのと同時にシャルルの古いドアが開く音がし、人が入ってくる気配を感じる。まだ店を閉める時間帯ではないためお客さんが来るのは当然だ。出入口の方向へ視線を送ると、一人の人物がゆっくりと店の奥、つまりこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
その人は男性だった。年齢は私と同じくらいだろうか。黒髪の短髪に、ぱっちりとした大きな目を持った爽やかな顔立ちで、身長は高くスタイルも良い。一般的に“イケメン”と言われるような……と、そこまで考えた所で私はやっと気が付く。その男性が、先ほど駅のホームで自分に声をかけてきた男性と同一人物であることに。
「あ」
思わず小さな声がもれる。なぜ彼がここに居るのだろう。もしかして私の後を尾けて来たのだろうかと考えたが、それは自意識過剰の被害妄想かもしれない。シャルルは子供も来るくらいの至って普通のゲーセンだ。この男性がたまたまここを訪れたとしても何ら不思議はないだろう。
しかし、私には男性の目が怖く思えた。私だけを見つめ、優しく微笑むその表情がひどく不気味だった。
「きみ、ゲーム好きなの?すげー意外だなぁ」
男性が私に問いかけ、その言葉で確信する。たまたまなんかじゃない。やはりこの人は私の後を尾けて、ここへやってきたんだ。
「いやぁごめん、俺、きみのことどうしても気になっちゃって。友達からで良いからさ!たまにメシ行ったり、遊びに行ったりとかしようよ」
一歩、二歩と男性がこちらにゆっくり近づいてくる。私の中の不審が恐怖に変わり、その場から動けなくなる。何かを言い返そうとしても声が出なかった。
「好きな人が居るって言ってたけどさ、付き合ってないんだよね?それってまだ俺にもチャンスがあるってことっしょ?」
「好きな人が居る」と伝えても退いて貰えないならば、一体どう言えば良かったのだろう。嘘でも、付き合っている人が居ますと言えば良かったのだろうか。気が付くと男性が私の手を取っていた。優しく私の手を取り握っているだけで、乱暴に強く掴んでいるわけではない。しかし直接肌に触れられたことにより嫌悪感が増し、私はその手を振り払おうとした。その時だった。
「おい。そのへんにしとけよ」
威嚇するような東さんの低い声が響く。その体はいつの間にかカウンターの外に出ていて、私の手を取る男性の腕を掴んでいた。
「あ、店員さんですか?すみませんお騒がせして。俺たち外で話しますから」
東さんの言葉にも、腕を掴まれていることにも、男性は一切ひるむ様子もなく爽やかな笑顔で言った。その態度とは裏腹に私から手を放すことはない。「外で話す」だなんて勝手なことを言わないで欲しい。私はこの人と話すことなんかない。それを口にしようとした時だった。東さんは一歩前に出ると男性に顔を近付ける。
「放せよ。誰がこいつ連れてって良いって言った?」
男性はやっとひるんだのか私から手を放し、数歩後ずさる。私の顔と東さんの顔を交互に見ながら、困惑した様子で「は?」とだけ口にした。
「人の女に手ぇ出すなっつってんだよ。殴られたくなかったらさっさと失せろ」
「人の女」。言葉の意味が一瞬分からず、思わず東さんの顔を見た。東さんは変わらない怖い顔で男性を威嚇し続けており、先ほどの台詞が私の聞き間違いだったのではないかと感じる。
男性は東さんの腕を振り払うと「なんだよ、クソ」と捨て台詞を吐く。そしてそのままそそくさと店を出て行った。建付けの悪い古いドアが開閉する音と、人が階段を駆け上がる音が聞こえる。しばらくすると店内には再びゲームの機械音だけが響くのみとなった。
「人の女って、なんですか?」
声が震えていることが自分でも良く分かる。東さんはこちらを睨むように眉間の皺を深くした。
「お前は……、俺のモンってことだろうが」
東さんはそう言って、気まずそうに私から目をそらす。
今の今まで私に、好きの一言も口にしなかったし、付き合っているかどうか、恋人同士なのかどうかすらも分からずにいたのに、こんなにも簡単に「お前は俺のモン」と言ってしまうなんて。たった一言で私の不安を消すどころか喜ばせてしまうなんて、ずるい人だなと感じる。
「私のこと、好き、ってことですか?」
意地悪をしてみたい気持ちになり、率直に問いかけた。「人の女」だとか「俺のモン」だとかは簡単に口にしてしまうくせに直接的な単語は苦手なようで、東さんは眉を歪ませながら気まずそうに頭をかく。
「んなこと、いちいち言わねぇと分かんねぇのかよ」
「……分からないですよ」
むきになった子供のような反論をすると、東さんは小さくチッと舌打ちをする。そしていつものように私の頭の上に手を置き、そこをぐしゃぐしゃと混ぜながら「好きに決まってんだろ」と呟いた。ずっと欲しかった言葉が降ってきて、涙が滲み、視界が歪んだことを自覚する。
その涙を隠すようにしながら、私は東さんの胸に顔を押し付け、背中に手を回して抱き着いた。すぐに自分の後頭部に手が添えられ、抱きしめ返されたことが分かり、涙の量が増えていく。
「私も好きです、東さん」
「……知ってるよ」
私を抱き締めている腕が少しだけ強くなる。
もう一度言ってください、なんて言ったら、彼は怒るだろうかなどと考える。東さんが口にした「好きに決まってんだろ」という言葉を何度も何度も頭の中で繰り返しながら、いつも通りの煙草のにおいに酔いしれた。
- おまけ -
「そういえばさぁ」
八神はポケットに仕舞い込んでいた煙草を取り出しながら、まるで独り言のように呟く。もちろんそれは独り言ではなく、事務所内にいる海藤に向けての言葉だった。海藤もそれを察しており、声を出さず八神の方を見て、それを返事の代わりとした。
「この間たまたまさんと会ったんだけど、やっと付き合うことになったらしいよ、あの二人」
しみじみと八神は言う。海藤にはその言葉の意味がいまいち分からなかったようで、組んでいた腕を解いて身を乗り出した。
「はぁ?ちゃんが?誰とだよ」
「いやだから、東と」
「あぁ?東と?誰が?」
「だから……、さんとだってば」
一から十まで説明しなくてはいけないのかと少しだけ苛ついた八神は、取り出した煙草の先端でテーブルを軽く叩く。すると海藤は眉間に深い皺を刻みながら座っていたソファから立ち上がると、さらに八神に顔を近付けた。
「なんだよ!あいつらまだ付き合ってなかったのか!?」
「うるっさ。あんま大きい声出さないでよ」
狭い事務所内に響き渡るほどの大声だった。八神は表情を歪め、耳を塞ぎたい気分になる。
と恋人関係になるなんて東しか居ないと海藤も分かっているはずだった。それなのに話が一向に前に進まない原因はここにあって、“と東はとうの昔に恋人同士になった”と海藤は思っていたのだった。
「あーあ……、こりゃ、あの二人が初夜を迎えるなんて日には赤飯でも炊いてやらねぇとだなぁ……」
「海藤さん、それセクハラだから。さんに嫌われるよ。もしくは東が怒る」
八神が煙草に火をつけると、海藤も同じように煙草を取り出し火をつけた。事務所内に煙が漂い、小さなライトの光が霞んだように見え始める。
そういえば東からに関するクレームが来ていないな、と考える八神。そういえばと東はキスぐらいはしたのだろうかと考える海藤。祝福され満面の笑みを浮かべると、からかわれ頬を染めながら反論する東を想像し、八神と海藤の二人は同時に笑った。
(2021.12.20)