許してよ馬鹿 - 2

 別に後ろめたいことをしたわけではない。それなのにまるで犯罪者かの如く逃げるように帰ってきてしまった。晩御飯を買いそびれた挙句に自宅には食材もなかったため、夕飯は買いだめしておいたカップラーメンで済ませることにした。夜にジャンクフードは控えたほうが良いと考えていたくせにこの有様、と自己嫌悪に陥る。

 お湯が沸くのを待ちながら、こんな時でもお腹はすくんだなと呑気にも考えてしまう。あのゲームセンターに居たサングラスの男性は確かに徹だった。間違いはない。しかし私の声掛けに何の反応も見せなかった様子を思い返してみると、もしかしたら人違いだったのではないかとも思ってしまう。初めは客かと思ったが、バックヤードに入っていった所を見ると店の関係者なのだろう。

 沸いたお湯をカップに注いだ。パッケージには見慣れた商品名と『熱湯3分』という文字が書かれている。そういえばこのカップラーメンは徹も好きで良く一緒に食べたっけ、と昔のことを思い出した。お金がなかった頃の私たちはカップラーメンや惣菜パンを半分ずつに分けて食べたりしていた。どんなに質素な食事でも徹と一緒に食べたものの味は格別だったし、一生忘れることが出来ない。

 いま目の前にあるこのカップラーメンもあの頃とは味が違う。それは6年の間に商品がリニューアルされたとかそんなんじゃない。味も匂いも空気も景色も、徹が居なければ何もかもが違う。私はいつまでもずっと6年前から立ち止まったままだ。

 サングラスの男性は徹に間違いない。間違いないとは思うが確証が欲しい。私はどうしても彼が東徹本人なのかどうか確かめたかった。そして今の徹がどんな風に生きているのかが知りたかった。元気で、楽しく、幸せに生きているのかどうかが知りたかった。

 翌日。仕事が終わり神内駅から自宅までの帰りに、例のゲームセンター『シャルル』の前を通ってみた。手に持ったスマホに目を落とすふりをしながらさりげなく立ち止まり、シャルルの方向に視線を送る。

 徹だという確証が欲しいとは考えたものの、一体何をどうすれば良いのかは分からなかった。そもそも名を呼んでも反応を見せなかったし、彼は私がカプセルトイの機械に何かしらのいたずらをしようとした悪質な客だと認識している可能性がある。

 シャルルの店内は複数人のお客が居てそれなりに賑わっているように見えた。私と同じく仕事帰りなのかスーツを着たサラリーマンや、近くにある誠稜高校の制服を着た人の姿もある。店の中には店員も居るのだろうがここからでは確認出来ない。当然徹の姿も見当たらなかった。もしかしたら奥の方に居るのかもしれない。

 もう少し近くで見たいという欲が出て来て、シャルルに思いきり近付きガラス扉越しに中を覗いてみた。もういっそ中に入ってしまおうかとも思う。ゲームセンターに一人で入ったことはないため少し緊張したがここまで来たら引き下がれない。ガラス扉の取っ手を握ろうと手を伸ばした時、背後から小さな咳払いが聞こえた。

「おい、お前」

 低い声が落ちて来る。私には声の主が誰なのかすぐに分かった。振り返ると予想通り徹が立っていた。昨日と同じ、眉間に深い皺を寄せた不機嫌そうな表情で私を見下ろしている。

「昨日の奴だろ。こそこそ覗きやがって、ウチに何の用だ」

 この展開は予想していなかったため何と言い訳をすれば良いのかが分からなかった。『あなたを探していました』だなんて言ったらストーカー扱いされてしまうだろう。いやそもそも私が今やっていることはストーカー行為に他ならないのだが。

「えっと、あの……」

 何とか誤魔化せないだろうかと無理矢理に口を動かし言葉にならない言葉を並べたがどうにもなる気がしない。徹はただでさえ深かった眉間をさらに深くし、こちらに顔を近付けてくる。

 もういっそ正直に白状してしまおうかと思ったその時、すぐ横で何かが倒れるような大きな音が響いた。心臓が跳ね上がるほどの衝撃音に驚き、思わず音の方向を見る。店に沿うように置かれていたカプセルトイの機械の一つが横倒しになっていた。倒れた機械のすぐ傍には複数人の男性グループが居り、中央の男がだらしなくにやついた表情でこちらを見ている。その光景にもその男にも既視感があった。しかもたった昨日だ。

「ねぇ、そこのオジサン。昨日ここに居たよねぇ?店の人っしょ?」

 間違いない。昨日店から出て来てカプセルトイの機械を蹴り飛ばした男だ。機械は店の備品だろうし、中のカプセルトイは店の商品だ。こんな行為許されるはずがない。

「つかさぁ、この店クソゲーばっかっすよねぇ?ガチでクリアとか無理だし。詐欺だと思うんすけどぉ、金返してもらえません?」

 男がそう言うと、周囲に居る仲間たちがギャハハと下品に笑い「うける」「それな」と口々に言った。ゲームセンターに来てお金を払いゲームを楽しんだくせに金を返せとはふざけている。思わず、こういうのをモンスタークレーマーと言うのだろうかと考えてしまった。

 徹は男性グループにゆっくりと近付き、地面に倒れている機械を起こした。昨日私が機械を起こした時は重くてとても力が必要だったのに、軽々と元に戻してしまった徹の姿に少し驚く。そして徹は男の前に立ち、軽く頭を下げた。

「申し訳ありませんがご返金対応は致しかねますのでお引き取り下さい。店の備品を壊されても困りますので、お客様には二度と来て頂かなくて結構です」

 徹の言葉はマニュアル通りかのような丁寧な物に聞こえたが、後半部分は煽りにも感じた。クレーマー男も同じように感じたようで、表情を一変させると徹の胸倉を掴み顔を近付けて凄む。

「こんの野郎……、客おちょくってんじゃねえぞ!クソが!」

 胸倉を掴まれているのは徹であって私ではないのに、言葉の強さと声の大きさと表情の恐ろしさに思わず縮み上がる。しかし徹は動揺など一切していないのか表情を変えず、ハァと小さく溜息をついた。

「先に手ぇ出したのはそっちだからな」

 徹はそう言って、胸倉を掴んでいるクレーマー男の腕に手を掛けた。強く力を込めて締め上げているのか、男の口から苦しそうなうめき声が聞こえる。徹は反対側の腕を振り上げると男の頬にパンチをお見舞いした。男はまるではりぼての人形かのように簡単に吹っ飛び、地面に転がる。

 周囲に居た仲間たちは「てめぇ!」「ふざけやがって!」などと罵声を口にしながら次々に徹へ襲い掛かった。しかし徹は怯むことなく男たちの攻撃を軽々とかわし、彼らの何倍も力が入っているのであろう拳を食らわせ、次から次へと地面に倒していく。

 目の前で起こっている光景を呆然と見ながら、私は呑気にも昔のことを考えていた。昔の徹はここまで喧嘩に強くなかった。本来彼が持っている優しさのせいもあるのか、人を傷付けるという行為を好んでいるようには見えなかった。一応はヤクザという肩書を持ってはいたためやむを得ない場合はあっただろうが、それでも徹が人を殴っている場面を見掛けたことはほとんどなかった。

 男のうめき声が耳に入ってくる。昔の記憶に浸っていた自分に気が付きハッと息を飲んだ。ぼんやりしている場合じゃない。こういう時は110番に通報するか、それとも手っ取り早く近くの交番に助けを求めるのが良いのだろうかと考える。しかし今この状況で警察が来てしまえば徹も逮捕されかねない。

 どうしようかと考えていたその時、背後から徹に近付く男に気が付いた。どこから持ってきたのか小さな立て看板らしき物を手にしており、それで攻撃しようとしているようだった。徹は目の前の敵に集中しているのか背後に近付く人物にまるで気が付いていない。

「あ」

 思わず声を上げ、次の瞬間には体が勝手に動いていた。男は持っていた看板を思い切り振り上げる。私は全速力で走り徹と男の間に割って入った。看板が振り下ろされ、大きな音と共に痛みに襲われる。目の前の視界がぼやけて星が飛んだような気がしたが、振り下ろされた看板が自分の体のどの部分に当たったかは良く分からなかった。ただ体のあちこちが痛かった。

 背中が冷たい。この冷たさは恐らく地面で、自分の体が倒れ込んだのだということだけが分かる。誰かの腕が私の肩にまわされ体を起こされた。誰だろうと思って相手の顔を見ようとするも視界がぼやけて上手くいかない。

 徹は無事かな、と考える。今の徹はとても喧嘩に強いように思えたが、流石に後ろから立て看板で殴られたりしたらひとたまりもないだろう。もし私が間に入ってそれを阻止出来たのなら不幸中の幸いというやつかもしれない。いや、こういう時は怪我の功名って言うんだっけ?まぁどっちでもいいや。

!」

 誰かが私の名を呼んだ。あまりにも重いまぶたをなんとか持ち上げて相手の顔を見る。徹だった。

!おい!!しっかりしろ!」

 なんだ、私のこと覚えててくれたんだ。知らないふりみたいなことしちゃってほんとタチ悪いよね徹って。思っていることは何一つ口に出来ない。徹の名を呼びたいのにかすかな声すらも出なかった。