きみの名と夜を跳べたら - 7
何故さんを連れてきたのだと怒りをあらわにしていたクロウは、彼女が出て行ったということを告げるとそれ以上は何も言わなかった。僕の行動の理由が気になるというよりも、窃盗団ではない部外者の人間をアジトに入れるのが心底嫌だったのだろう。
結局、あの後何をしていてもさんのことが頭から離れることはなかった。窃盗団として盗みを働いている時も、警察の追手から逃げるために夜の街を跳んでいる時も、いつもさんのことばかりを考えていた。家にちゃんと帰っただろうか、それともまだ神室町に居るのだろうか、まさかとは思うが八神さんに接触してはいないだろうかなど、様々な考えが頭をよぎるもそれを確認する術はない。
気が付けば数日の時が経っていて、窃盗団のメンバーは詐欺グループの事務所に乗り込んだことも、そこに居たさんの存在も記憶に残っていない者がほとんどのようだった。
そんなある日の夜、アジトに行くとクロウが僕の顔を見るなりこちらに大股で近付いてきた。何か話したいことがありそうな様子に、僕は何も言わずにクロウの言葉を待つ。
「なぁジェスター、お前聞いたか? 」
クロウの話は遠回しに感じることがあり、結論から話して欲しいと思うことが間々ある。今日もそうなんだろうと思いながら、溜息を交えつつ「なにが? 」と返事をした。
「この間盗みに入った詐欺グループ、覚えてるだろ? あそこのボスが事務所を荒らした犯人を探し回ってるらしいぜ。復讐してやるんだってさ」
この間盗みに入った詐欺グループというのは、さんを拉致していた奴らのことだろう。ああいった振り込め詐欺などの特殊詐欺を行うグループというのは、大体が半グレか出来損ないのチンピラのような人間で構成されている場合が多いと聞くが、クロウの言うボスとやらは恐らく極道だ。メンツや返しに重きを置く裏社会の人間ならば、犯人探しをして復讐をすると息巻いていたとしても何ら不思議はない。
しかし問題はその犯人。僕たちはあの事務所へ盗みに入った際に何の証拠も残さなかったため、窃盗団が疑われることはないかもしれない。とするならば、真っ先に疑われるのは誰なのか。心臓を何かに強く掴まれたような、そんな感覚がした。
「これは俺の予想だけど、真っ先に疑われるのは俺らよりもお前が助けたあの女だろ。危ないんじゃないか? 」
クロウは僕の心を読んだかのように言って、フンと鼻を鳴らす。仮面のせいで顔は見えなかったが、あまり気持ちの良い表情をしているようには思えなかった。
確かに彼の言う通りだ。警察にすら場所を悟られていないはずの事務所から、金品どころか被害者にするための標的をまとめたリストすらも消えている。誰かに盗みに入られたと確信し、金儲けの道具にしようと拉致をし軟禁していた女の姿が見当たらない。そんな状況ならば誰だって『女が事務所の金品を奪い、脱走した』と思うはず。
さんが危ない。弱者から金をむしり取ることしか頭にない人間が、自分の顔に泥を塗った存在を無事で帰すわけがないだろう。もしかしたらさんはもう家に帰ったかもしれない。この神室町には居ないかもしれない。そう思うことも出来たが、胸騒ぎはおさまらず、それどころかどんどんと強くなり、心臓の音は速度を増していくばかりだった。
僕は何も言わずにその場から駆け出す。クロウからも、他のメンバーからも、僕を止めるような声を上げる者は居なかったようだった。
体を縮めビルの窓から外へ飛び出し、壁に沿って設置されたパイプを伝い下まで降りる。焦る気持ちをおさえながら考えた。虱潰しで探すにしても神室町には極道の人間が多すぎる。そもそも、作戦実行前のブリーフィングでメンバーの顔写真を見た記憶はあるが、ボスの人相などもうほとんど覚えていない。そこまで考えた所でふと、詐欺グループが使っていた事務所を思い出した。僕たちが盗みに入った後もあの場所を未だ根城にしている可能性は大いにある。雑居ビルの場所なら今でもしっかりと記憶に残っていた。後のことを考える心の余裕もないまま、僕はその場から走り出した。
神室町のネオンがいくつも横を流れて行き、途中見知らぬ人と何度も何度もぶつかりそうになる。「どこ見てんだテメェ! 」「危ねぇだろうがクソ! 」などと罵声を浴びせられても、立ち止まるわけにはいかなかった。
しばらく走ると目的の雑居ビルに辿り着き、何の考えもないまま中に飛び込む。正面玄関に当たるガラス張りの扉は鍵がかかっていたが、近くにあった植木鉢をぶつけて扉ごと破壊した。大きな音が建物内に響き渡り、中に誰か居るとするならばすぐに気付かれてしまっただろう。最早そんなことはどうでも良かった。もしここにさんが連れてこられて怖い想いをしているのならば、一刻も早く助け出してあげたい。その一心だった。
階段を駆け上り、最上階にある事務所のドアノブに手をかける。当然ながらそこも施錠されていて、中からは人の気配を感じた。恐らくクロウの言っていたボスだろうと確信し、助走をつけて扉を破る。電気を点けていない真っ暗な部屋が見えたのと同時に、人影が飛び出しこちらに向かって何かを振り下ろしてきた。体をひねり紙一重で避けると、その何かは床にぶつかり金属音を響かせる。金属バットだ。僕がそう確信したと同時に人影が壁に向かって走り出し、電灯のスイッチを入れる。蛍光灯の光が部屋の中を照らし、僕は眩しさに目を細めた。
「なんだテメェ!? 何モンだ! 変な仮面着けやがって! 」
金属バットを持った男は間合いを取りつつ部屋の中央に移動し、僕に向かって叫ぶ。下品な金髪にオールバック。センスの悪いスーツに柄シャツはいかにも極道という感じだった。
男の足元には一人の人物が横たわっている。さんだった。以前この事務所で見た時よりもさらにひどい有様で、暴力を振るわれたのだろう、口元からは血が滲んでいる。声を上げる気力もないのか、薄っすらと目を開けたまま弱々しく口を微かに動かしていた。その様子を見ていたら頭がおかしくなりそうだった。ボスであろう目の前に居る男を、再起不能になるまで痛めつけてやりたいという気分になる。
「絶対に許さない」
それだけを小さく呟き、僕は大きく前へ一歩踏み出した。一気に間合いを詰め右足を軸に踏み切ると、相手の手元目掛けて蹴りを繰り出す。何かが潰れるような不快な音と共に、金属バットが壁に向かって吹っ飛んだ。男は声も出ないほどに驚き、間抜けな顔を晒している。その隙に床に手を付き、そいつの顔面に最大級の蹴りをお見舞いした。口から何かしらが零れ、大きな体はその場に崩れ落ちる。まだまだこんなもんじゃ済まないよ、と心の中で呟きながら、僕は倒れ込む男の喉元を踏みつけ、見下ろした。
「二度とさんに近付かないって、今ここで誓えよ」
男は苦しいのか、みっともないうめき声を上げながら睨むようにこちらを見る。こんな状況でも相手を威嚇することをやめない根性だけは認めてやってもいいと思うが、もっと痛い目にあわなければ分からないというのなら、喉を踏み潰すぐらいの力を込めなければいけないだろう。こいつはさんを騙し、拉致し、散々怖い想いをさせた挙句、ひどい暴力までふるい怪我をさせた。絶対に許すわけにはいかない。
「ふみや、くん」
その時、背後からかすかな声が聞こえた。一瞬何かの聞き間違いかと思ったが、確かに誰かが僕の名を呼んだ。この神室町では誰も知る人は居ないはずの僕の名を。声のした方向へ振り返るとさんが横たわったままこちらを真っすぐに見つめていた。苦しそうに表情を歪ませ、必死に呼吸をしている。
「もう、いいよ。もう、やめて」
さんは途切れ途切れにそう言った。僕は男の喉元から足を退けるとさんに向かってゆっくりと近づきながら、自分の頬に手を這わせて撫でる。確かにいま、僕は仮面を着けている。それなのにさんは僕を「ふみやくん」と呼んだ。あの日と変わらないその呼称に涙がこぼれそうになる。
「……僕が誰だか、分かるの? 」
震える声で問いかけると、さんは今にも消えてしまいそうなほどに弱々しい笑顔を見せながら「当たり前だよ」と小さく呟いた。