青空の果て - 3
「今夜連絡するから」という言葉の通り、文也くんはその日の夜にメッセージを送ってきた。私の連絡先は事務所で書いたプロフィールシートから知ったのだろう。内容は予想通りデートの日程のことで、私は今週末であれば時間があると返信する。すぐに既読の表示がされ「じゃあそれで」というメッセージが返ってきた。
そしてデート当日。指定された場所に時間通り向かうと既に文也くんが待っていた。思わず時刻を確認したが、待ち合わせ時間までにはまだ五分ほどある。困惑する私に文也くんは「早く着き過ぎちゃった」と笑って見せた。
十年前、高校生の時に片想いをしていた相手とデートをする。こんな経験をする人間はこの世にどれくらい居るのだろうか。私はこの日のために美容院へ行き、ネイルサロンへ行き、服も新調した。そこまで派手ではないし気合が入っているという印象もないはずなので、文也くんの目に違和感なく映っていることを祈る。
文也くんに連れられて行ったのは浜北公園だった。横浜のデートスポットとして定番だろうと感じる。そもそも私たちがデートしているのは恋人のフリをするための下準備のようなものであるため、お互いのことをある程度知って、少しでも“恋人感”が出るならば何処だって良いだろう。
海が良く見えるベンチに文也くんが座る。自分はどうすべきなのか分からずに突っ立っていると、文也くんがこちらを見ながら自分の隣のスペースをポンポンと手で叩いた。恐らくは「ここに座って」という意味なのだろうと解釈する。
私は少しだけ考えて、文也くんからこぶし三つ分ぐらいの距離を取って座る。その様子がおかしかったのか文也くんはフッと吹き出し、声を殺すようにして喉の奥で笑っていた。
「ねぇ、さん。自分のこと、なにか話して聞かせてくれない?」
まだ半分笑っている文也くんに問いかけられる。その質問の意味がいまいち理解出来ず、私は思わず首を傾げた。
「ほら、恋人のフリするんなら、君のことちゃんと知っておかないとでしょ?好きな物とか嫌いな物とか……なんでも良いから話してよ」
文也くんはベンチに座り直すようにしながらこちらとの距離を詰める。そのさりげない仕草に緊張しながらも、彼からの質問の答えを考えた。
「好きな、物……」
声に出して呟いてみたものの、特に何も思い浮かばない。食べ物に好き嫌いはなく何でも食べる方だと思うし、これと言った趣味や特技もない。“好きな物”というあまりにも簡単な質問にすら答えられない自分に嫌悪した。
「じゃあ、嫌いな物は?なにかある?」
何も答えられずに黙り込む私に助け舟を出すように、文也くんは続けて質問をしてきた。“好きな物”は考えても出てこなかったのに、反対に“嫌いな物”は頭の中にいくつも思い浮かんでくる。
「嫌いな物は……、煙草とお酒。あと、勉強。学校も大嫌いだった」
昔の私は何とかして悪ぶろうとしていた。試しに吸った煙草は不味すぎて三秒でやめてしまったし、お酒なんかよりもジュースのほうが何倍も美味しかった。その時のことがあってか、今でも煙草とお酒は苦手だ。
その流れで“勉強”と“学校”という単語を出したことに気付き、しまったと思う。文也くんと私が高校生の時のクラスメイトだということは気付かれない方が良いのだろうと考えていたからだ。しかしそれは要らぬ心配だったようで、文也くんは眉一つ動かさずに私の話を聞いていた。
「さんは、子供の頃の将来の夢、なんだった?」
その質問は“学校”という単語が出たせいなのだろうと考える。あの時の私は将来の夢などという輝かしい未来に対する目標など持ち合わせていなかった。何故なら死にたい思っていたからだ。今でこそ死に関する願望はあまりないものの、当時生きることに無気力だった私が将来の夢なんか描けるはずがなかった。
「私、子供の頃は、ただ真っ当に生きたいって思ってた。生きる理由を見失わないような大人になりたかった。いま、そうなれてるかどうかは……、分かんないけど」
そこまでを口にした所で我に返り息を飲んだ。文也くんの方を見ると彼は真剣な面持ちで私を見つめている。その表情に彼の心が読めず不安を感じ、思わず「ごめん」と謝罪した。
「いい歳してこんなこと言うのイタイよね。忘れて」
「そんなことないよ」
私の言葉を遮るように文也くんが声を上げる。思ってもいなかった返答に私はそれ以上なにも言えなくなった。文也くんは私から目をそらし、海を見つめる。海を見ているというよりかは、海の向こう側にある何かに想いを馳せているように思えた。
「僕ね、ハタチそこそこの頃、ずっとひきこもってたんだ。何もかもにやる気が出なくて、生きる意味が分からなくて……、何もせず、誰とも会わず、ずっと閉じこもってた」
文也くんは自身のことをゆっくりと話し始めた。恋人のフリをするためにこの情報は必要なのかと思いつつも、私の知らなかった十年間のことを話す文也くんを止める気にはならなかった。生きる意味がわからなくて、という言葉が耳にこびりついて離れなくなる。
「それからまぁ……色々あったんだけど、八神さんっていう探偵とか、一緒に事務所を立ち上げた九十九君とか、色んな人たちの支えがあってここまでやってこれたって感じかな」
私は口を出さず、ただ黙って聞いていた。文也くんは一通り話し終わると海へ向けていた視線を私に向け、優しく微笑んだ。
文也くんは“色々あった”と濁していたけれど、きっと私が想像するより何倍も大変なことが、それこそ数え切れないほどたくさんあったんだろう。文也くんの言葉に救われ、たった今ここでのうのうと生きている私は、文也くんが一番つらい時に傍にいてあげられなかった。助けてあげられなかった。そして再び彼に救われようとしている。
「あ……、僕こそごめんね。自分のことばっかり話して。ほら、もっと話してよ。さんのこと」
その困ったような笑顔を見た時に、先ほどの私と同じ心境なのだろうとすぐに分かった。「いい歳してイタイよね、私“たち”」なんて言いながら笑い飛ばしてあげたかった。その想いとは反対に目の奥が熱くなり、涙が出そうになる。
「……私も、同じ」
歪んでくる視界を誤魔化すように声を上げた。文也くんは私から目をそらさずに居るようだったが、私は彼を見れなかった。今度は私が海の方へと視線を送る。
「私、ほんとは子供の頃、ずっと死にたいって思ってた。なにもかもにやる気が出なくて、生きる意味が分からなくて……。でも、私のことを助けてくれた子が居て、今の私があるのも、その子のお陰なの」
隣にいる文也くんの視線が突き刺さってくるのが良く分かる。“学校が嫌いだった”。“死にたいと思っていた”。“私のことを助けてくれた子が居た”。はっきり言わずとも、間接的な言葉を散りばめる。文也くんに気付かれないようにしようと思っていたけれど、私は、本当は気付かれたかったんだ。私はあの時のだよ、と、文也くんに言ってしまいたかった。
「文也くん。私ね……、その……」
その後何を言おうかは考えていなかった。喉が詰まったように続きの言葉が出てこない。その時、何かの重低音が響き渡る。それはどうやら文也くんのポケットに入っているスマホだったようで、取り出し、困ったような顔をしながら私を見た。
「あ、いいよ。出て」
私がそう言うと文也くんはスマホを耳に当て通話をし始めた。微かに聞こえてくる声と話の内容から察するに、相手は九十九さんだろうと予想する。ある程度会話をした後、すぐに通話を切った文也くんは申し訳なさそうな表情をしながら顔の前で手を合わせる。
「ごめん。ちょっと急ぎで呼び出されちゃったから、今から事務所に行ってくる。ほんと、ごめん」
余程急いでいるのか、文也くんは私の返答を聞くこともしないままベンチから立ち上がり、そのまま公園の出入り口に小走りする。彼を呼び止める気もなかった私は小さくなる背中を見つめた。
「あ、さん!」
途中で文也くんが立ち止まり、こちらに振り返りながら大きな声で私の名を呼んだ。私は声を出さずに首だけを傾げ、それを返事の代わりとした。
「また今度、さっきの話の続き、しよう!」
文也くんはそう言って片手を上げると、再び走り出した。小さかった背中はあっという間に見えなくなる。
私は自分のことを最後まで話せなかった。私があの時のだよ、と言うことを躊躇した。文也くんの言った「また今度」が本当にあるのなら、私はその時までに覚悟を決めておかなければならないのだろう。
文也くんが去り、特に他に用事もなかった私は真っすぐ自宅へと戻った。ポケットからスマホを取り出しテーブルの上に置くと、メッセージの通知を知らせるランプが点滅していることに気付く。一番来てほしくない母からの連絡だった。
“来週末あけといたからうちに来なさい土日のどっちでもいいから”
絵文字も句読点も使わない母からのメッセージはいつだって読みにくい。私は何かしらの反論をしようと思いキーボードを呼び出した。「ちょっと待って」や「急に困る」などの文章を打とうと考えてからすぐに、指が動かなくなる。母のことだ。きっと私が何を言っても押し通されるに決まっている。無駄なやり取りはしたくなかった。
今までの人生のなかで一番大きいのではないかと思うほどの盛大な溜息をつきながら、私はソファに倒れ込む。部屋に舞う埃が日差しに照らされてキラキラと光って見えた。落ち込んでいても仕方がないと気持ちを切り替え、横浜九十九課に電話を入れる。電話に出た九十九さんに母からのメッセージを伝えると、翌日こちらに来るようにと言われた。
翌日。事務所へ向かうと九十九さんと文也くんの両名に出迎えられた。九十九さんがいくつか資料を作ってくれており、テーブルの上に広げられた数枚の紙には私と文也くんの“偽の設定”がまとめられている。
資料は「と文也は付き合って三年になる」だとか「出会いは新宿の神室町」など真っ赤な嘘で塗り固められていた。恐らく母に何処をどう突かれても対応できるよう、二人で偽の設定を共有し矛盾をなくそうということなのだろう。後に文也くんとの関係を問われた場合は「別れた」とでも言えばいい。ひとまずはお見合いを回避し、一時的にでも母を落ち着かせられればそれで良いと私は考えており、それは九十九課にも伝えてあったことだった。
「杉浦氏には臨機応変にサポートをお願いしますぞ。さんのお母上は手強そうですから、全てあなたにかかっています」
九十九さんは笑いながらも、文也くんに大きなプレッシャーをかけるような言い方をした。私は心配になり文也くんの顔を見たが、彼はプレッシャーなど微塵も感じていないような様子で笑い、親指をたてて「オッケー」と返事をする。九十九さんと文也くんの二人はお互いを強く信頼し合っているように見えた。
ふと、文也くんと目が合う。私は思わず目が泳いでしまったが、文也くんはこちらに眩しい笑顔を向けていた。
「さん、僕がサポートするから。一緒に頑張ろう」
その言葉はいかにも探偵らしく、私はたった今思い出したように、そういえば文也くんは探偵だった、などと思ってしまう。
自分勝手にも「一緒に頑張ろう」という言葉に寂しさを感じた。私と文也くんは恋人同士のフリをする。偽りの関係を“頑張り”、そしてこの依頼が終わったら私たちの関係も終わる。もう会うこともないんだろう。
昨日の浜北公園でのことを思い出した。私は文也くんに気付いて貰おうと自分自身の話をしようとした。高校生時代の話をすれば、私があの時のだと気付いて貰えると思った。今思えばそれはするべきではなかったし、これからもする必要はない。
これでいい、と自分を納得させる。本当の自分のことなど文也くんにとってはどうでもいい。彼は探偵で私は依頼人。そして今週末に偽の恋人を演じてもらう。それだけでいいんだ。