あるいは裏切りという名の愛 - 2

 翌日、私は九十九課が入っているビル近くにある駐車場に居た。諦めきれずに再びここへ来たのはいいものの、もう一度事務所を訪ねたところで門前払いされるのがオチだろう。とは言えこの場所からでは事務所内の様子をうかがい知ることも出来ない。

 横浜九十九課は依頼の受付や情報処理などいわゆる“頭を使う作業”は所長である九十九誠一が行い、尾行調査や主に野外で行う業務などいわゆる“体を使う作業”は杉浦文也が行うという役割分担をしているらしかった。この場所で待ち伏せをしていればいずれは仕事を行うため杉浦は事務所から出て来るに違いない。彼の後を尾け動向を探ったり、タイミングが合えば再び取材を申し込むことをしても良いかもしれないと考えた。

 予想通り、しばらく待つと杉浦は事務所から姿を現した。すぐに声を掛けようとして思いとどまる。

 昨日、杉浦は『イケメンの探偵』と呼ばれることを心底嫌がっているように見えた。彼は周囲から見た目でああだこうだと言われるよりも、純粋に探偵としての評価を望んでいるのかもしれない。しかし、横浜九十九課はまだまだ駆け出しの探偵事務所。そんな彼らなのであればどういう内容であれ人から注目を浴びることのメリットはあるはず。『探偵としての評価』を望むには彼らはまだ青すぎるだろうし、そんな風に考えること自体が驕りともとられかねない。実際私も少なからずそう感じた。

 事務所を出てどこかしらに向かおうと歩き始める杉浦の背中をゆっくりと追いかける。『イケメンの探偵』だという肩書が嫌なのであれば、ひとまずは彼の仕事ぶりを見せてもらおうじゃないか。そしてそれを評価し“あなたは見た目ばかりじゃない”と杉浦を認めてあげたら警戒心をといてくれるかもしれない。

 近くにある電柱や自動販売機に身を隠しながら杉浦の後をついていく。尾行に関しては素人の中の素人ではあるものの、窃盗団時代にターゲットの後を尾けることぐらいはしたことがある。その時の感覚を思い出し、喧騒で搔き消されるであろう足音さえも殺すようにゆっくりと歩いた。

「あら、文也くん!おはよう。今日もお仕事?」

 途中、何処かの店の店員だろうか、年配の婦人が杉浦に声をかけていた。杉浦は軽く会釈をし同じように「おはようございます」と挨拶をする。何かしらの雑談をしているその姿はかなり親し気に見えた。横浜九十九課は私が思っているよりも地域に根付いた探偵事務所なのかもしれない。分かりやすく言えば“地域密着型”というやつだろうか。

 婦人と別れ、杉浦はそのままどんどん人の気配のない方向へと歩いて行った。人の姿がないということは私が紛れ込むものがなくなり、このままでは尾行がし難くなってしまう。どうしようかと考えていると、杉浦は小さな古い家の前で立ち止まった。そこは入口上部に店の名前らしきものが書かれているものの、営業はしていないようだった。

「おばあちゃん、おはよ」

 杉浦は迷いなく入口の引き戸を開け、挨拶をする。それに応えるように中から老婆が現れ、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにさせて笑った。

「ああ、文也くん。おはようさん。今日も良い天気だねぇ」

「そうだね。おばあちゃんもたまには公園とか行って来たら?良い気分転換になるかもよ」

「そうだねぇ。そうしようかねぇ」

 杉浦と老婆はかなり親し気に会話をしていた。もしかしてあれは杉浦の祖母なのだろうかと考えるも、良く分からない。

「そうだ文也くん。この間ご近所さんからおまんじゅうを貰ったんだ。食べるかい?」

「ああ、いいよ。僕、今はおなかすいてないし。おばあちゃんが食べなよ。甘いの好きでしょ?」

「そうか、そうか、ありがとうねぇ」

 あれこれ考えている間にも、杉浦と老婆は他愛ない会話を続けている。

 それにしても、杉浦は事務所を出てこんなところで何をしているのだろうか。仕事をさぼっておばあちゃんと雑談している、ということなのだろうが、だとしてももう少し場所と行為を選んでも良いような気がする。異人町には暇を潰せる場所などいくらでもあるため、わざわざ『おばあちゃんとの雑談』を選ぶ理由が分からない。

 しばらくすると杉浦は老婆に別れを告げ、再び何処かへ向かって歩き出した。結局彼がこの場所を訪れた意図はまるで分からなかった。

 一定の距離を保ちながら後を尾けると、杉浦は小さな公園に入っていった。寂れた印象で遊具はほとんどなく、大きな木がそびえ立っている。最近は公園から子供の姿が消えたと聞くが、そこも例にもれず杉浦以外の人の姿はなかった。

 杉浦は公園の真ん中で立ち止まり、どこかを見つめている。何かがあるのだろうかと目をこらしたその時、彼は何かを思い出したかのようにフッと笑い、口唇をゆっくりと開いた。

「そろそろ出てきたら?さん」

 自身の名を呼ばれ心臓が口から飛び出しそうになる。駆け出しとは言え相手はプロの探偵だ。そんな彼を素人の私が尾行するなどやはり無謀なことだったのかもしれない。

 抵抗する気力もなくなり、私は身を隠していた物陰から顔を出した。杉浦は私が立っている場所も把握していたようで、こちらを見ながらどこか呆れたような表情で笑っている。

「いつから気付いてたんですか……」

「最初っからだよ。事務所を出た瞬間から。当然でしょ」

 杉浦は自信満々とでも言うように答えた。まさか一番最初、彼が事務所を出た瞬間に気付かれていたなどとは夢にも思わず、声を失う。そんな私の様子を見た杉浦は良い気分になったのか、鼻で笑ってからこちらにゆっくりと近付いてきた。

「なかなか上手かったと思うよ、君の尾行。探偵に向いてるんじゃない?転職したら?」

 嫌味っぽいその台詞と、敬語を一切使わなくなった杉浦に段々と腹が立ってくる。睨むようにしながらその顔を見上げた。

「さっきのおばあちゃんは誰?どういう関係?あなた、一体なにしてるの?」

 そっちが敬語を使わないならこっちだって使わない。そんな対抗心から普段の口調で問いかける。杉浦は瞳をぐるりと上に向けて、うんざりしているような表情を見せた。

「あのさ……、なんでそんなこと君に言わなきゃいけないの?必要ないでしょ」

「教えて。教えないなら、仕事しないでおばあちゃんの家で仕事をサボる最低ヘボ探偵だって記事に書いてやるから。その記事、異人町にばら撒いてやる」

 私の言葉に杉浦の眉間に深い皺が寄る。そして首元に手をやりうなだれると、盛大な溜息をついた後に「めんどくさいなぁ、もう」とぼやいてから、続けた。

「あのおばあちゃん、もうずっと独り身なんだよ。近所の人が心配してたから、たまに僕が様子見に行ったり、話し相手になったりしてる。ただそれだけ」

 ああなるほど、と私の中でやっと合点がいく。先ほどは彼を脅すために『おばあちゃんの家で仕事をサボる最低ヘボ探偵』と言ったけれど、やはり杉浦は仕事をさぼっていたわけではなかった。

「へぇ……、探偵事務所ってそんな依頼も来るんだ」

 独り言かのように呟くと、それを杉浦は「違うよ」と訂正した。

「依頼じゃない。ただ僕がやりたくてやってるの。もう良い?僕、ちゃんと答えたでしょ」

 杉浦は両手を広げ、肩をすくめるような仕草をする。“これで満足?”とでも言いたげだった。

 彼の言葉がひっかかった。『依頼じゃない』。『僕がやりたくてやってる』。そこから察するに、杉浦が先程の老婆の様子を見に行っているという行為には金銭が発生していないということだ。この人は仕事をさぼっていたわけではないが、お金にならない“仕事”をしていたということになる。

「探偵って、ボランティアもやるんだね」

 思っていたことを率直に口にすると、杉浦は今までにない表情をした。軽く頬を引きつらせ目を細める。それはどう見ても“怒り”の感情だった。

「そんな言い方しないでくれる?ボランティアを下に見るつもりはないけど、僕はそんな気持ちで仕事してない。ただ手助けがしたいだけだよ」

 今までにない強い口調と声で言われ、ほんの少しだけ怯む。しかしここで弱さを見せるわけにはいかないと、私は杉浦を強く睨み返した。

「それを“ボランティア”って言うんでしょ」

 私の反論に杉浦はひどい嫌悪感を表情に表したように見えた。こちらに一歩近づきさらに距離を詰めると、顔を近付けてくる。優しい顔つきの彼に恐怖などは感じないが、私に対する嫌悪を隠そうとしないその表情には威圧感を覚えた。

「君、きのうウチに来た時は猫被ってたんでしょ。本性はそんな感じなんだ?」

 フーン、と鼻で長く息を吐き、物理的にも心理的にも私を見下しながら杉浦は言う。

 昨日は取材を申し込みたいという立場で仕方なく下手に出ていたため、猫を被っていたのは当然だ。その猫も杉浦の前ではしばらくは被っているべきなのだろうと考えていた。しかしもうはっきり言ってしまえばそんなことはどうでもいいし、取材だって出来なくてもいい。一応はライターを偽称し取材を申し込んだか、彼へ上手く取り入り油断をさせ、窃盗団である証拠を掴めれば何でもよかった。

 杉浦を見つめる。一度しか見なかった顔だけれど、今でもしっかりと覚えている。優しく、それでいて何処か子供のような悪戯っぽい笑顔がそこにあった。

「僕は絶対に取材なんか受けないから。君に探偵の仕事を理解するのは無理だよ、さん」

 私の名を呼ぶ声がひどく新鮮だった。彼はもう私を『カラベラ』と呼ぶことはない。この世で一番憎んでいて、この世で一番愛おしいその口唇から紡がれた『“さん”』という呼称に、私の胸が潰れそうになった。