あるいは裏切りという名の愛 - 7

「JR東日本をご利用くださいましてありがとうございます。まもなく新宿、新宿。お出口は右側です」

 車内アナウンスが聞こえてきたすぐ後に電車はゆっくりとスピードを緩め、スムーズな動きで止まる。新宿駅では降りる人も乗り込む人も多い。ドアが開いたと同時に文也が私の腕を取り、手を握られた。

「そういえば僕、神室町に来るの久しぶりかも」

 出口に向かって歩きながら文也は言った。振り返り私を確認すると、繋いでいる指がキュッと締まる。文也の表情は穏やかな笑顔で、つられて私も自然と笑顔になった。

 改札を出てからすぐの階段を上り、神室町方面出口から地上階に出る。外は憎たらしいほどの良い天気で太陽の光が眩しかった。私たちはそのまま道路を渡り、神室町へと向かう。

「ねぇ、文也」

 横に並んで歩きながら名を呼ぶと、文也はまっすぐ前を見たまま「ん?」と応答する。

「ずっと気になってたんだけど、いつ、私がカラベラだって気付いたの?」

 あの日文也は私に『君なんでしょ、カラベラ』と言った。自分の正体が文也にバレていたことに驚いてしまったけれど、そもそもいつから私の正体を見抜いていたのかは知らないままだ。

 文也は考えるように口を閉じ、数秒間黙り込む。そして小さな吐息と共にフフと笑って私を見下ろした。

「スナック街でチンピラを殴ろうとしてたでしょ?たぶんあの時かな。の動きに見覚えがあったから」

 そういえばそんなこともあったな、と当時の出来事をぼんやりと思い出す。自分よりも数倍は大きい体をしたチンピラに絡まれ、腕を掴まれて引き倒された。話が通じる様子もなかったため止む終えず暴力を振るおうとし、それを文也に止められた。私は窃盗団時代、身を守るためにジェスターと一緒に喧嘩をしたこともある。私の動きを文也は覚えていたのだろう。

 “敵を攻撃する動き”だけで分かるなんて流石だな、と思っていると、文也は何かを思い出そうとしているのか、軽く首を傾げながら眉間に皺を寄せた。

「でも、あの時はまだ半信半疑な感じだったんだよね。確信に変わったのは二人で一緒に飲んだ時かな。『忘れられない人が居る』って聞いて、もしかしてって……、自惚れちゃった」

 文也はそう言って、今度はどこか照れくさそうに笑った。その笑顔があまりにも可愛くて愛おしくて、私は少しだけ彼をからかいたくなる。

「店を出た後のことは覚えてる?」

「店を出た後?僕なんかしたっけ」

「私がカラベラだって気付いたことは言ってなかったけど、私のこと毎日思い出すとか、私のこと攫っちゃえば良かったとか、言ってた」

 文也は目を見開き、心底驚いた様子で「え!?」と大きな声を出した。反応を見る限り本当に記憶にないようだ。当時はとても酔っていたんだろう。文也は赤く染まりつつある顔を隠すかのように口元に手を当てる。

「ウソ、僕、そんなこと言った?」

「うん。会えるならなんだってする、とかも言ってたけど」

「ちょ、ちょっとやめてよ、恥ずかしいから」

 文也は体の前に手を出し、私を止めるようなジェスチャーをする。普段あまり見ることのない焦った様子がおかしくて、私は小さく笑った。

 雑談をしながら大きな道路を渡り、見慣れたアーケード看板をくぐる。私にとってこの場所は因縁の場所のような、それでいてとてつもなく大切な場所のような気がしていた。ここから先は空気が変わったような感覚すらする。

「あ」

 数メートル歩いてからすぐ、文也が声を上げた。目線の先には背が高い建物が立っている。そこは昔、窃盗団だった私たちがたむろしていた廃ビルがあった場所だった。妖しい雰囲気を醸し出しほとんど誰も近寄らなかった汚い廃ビルは、とても美しい建物に変わっていた。

「こうやって、私たちが知らない間にすぐに変わっちゃうんだよね。神室町って」

 独り言のように呟いてから、当時のことを思い出した。このビルの屋上で初めてジェスターの素顔を見た時のこと。二人でパルクールの練習をしたこと。私の怪我をジェスターが手当てしてくれたこと。その全てが大切な記憶だった。

 悲しいわけじゃない。寂しいわけでもない。言い様のない不思議な感情に支配され、頭が重くなったように感じ俯いた。文也と繋いでいる手から力が抜け解けそうになったけれど、文也はそれを許すまいとでも言うように強く握り返す。

「神室町が変わっても、僕は変わんないよ」

 思わず文也を見上げた。目を細め微笑んでいる優しい顔と目が合い、胸が苦しくなる。

「今度はずっとのそばにいて、絶対、離れないから。約束したでしょ?」

 涙が出そうになり下口唇を噛んだ。喉の奥のほうから「うん」と小さな声を出して返事をする。文也が握り返して来た手をさらに握り返した。指先から伝わる熱が痛いほどだった。

 今までもこれからも、文也は私が大好きだった頃のジェスターのままだ。私も彼も過去の名は捨てたけれど、それは“変わった”のではなく本来の姿に戻っただけでしかない。仮面をつけていない素顔でお互いを見つめる。いつまでも変わらない文也の笑顔に、先ほどまで耐えていた涙が私の目からこぼれ落ちた。

END
‎(2023‎.10.19)‎


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